なぜ勉強をしないといけないのか?⑧

こんにちは。

学歴では幸せになれないのに、なぜ勉強をするといいのか?

久しぶりにこのテーマの更新です。前回の記事「なぜ勉強をしないといけないのか?⑦」で、学歴では幸せになれないと確信したと書きました。では、なぜ幸せにつながるわけでもないのに勉強をした方がいいのでしょうか。今回は私が「勉強しておいてよかったなぁ」と思えた理由について書いていきます。

結論から言うと

  • 人生では結局頭を使うことを避けては通れず、脳を鍛えておいた方が有利だから
  • 脳の基礎力を鍛えるものの一つとして、学校の勉強をやるのもあながち悪くないから

だと私は思っています。

「苦労がない」のではなく「苦労を乗り越える力がある」

世の中には「天才」「鬼才」と呼ばれる人もいて、本人にとっても周囲から見ても全く努力・苦労をせずに問題解決をしてしまう人もいます。

知り合いの知り合いが東大に行ったという話を聞きましたが、頭が良すぎて、学校の授業を聞いただけで全てわかってしまうので、自宅での勉強はせいぜい1日1時間ぐらいで東大に行ってしまったそうなのです…。

そんな特別な才能を持った人はほんの一握りで、東大に入ったほとんどの人は1日8~15時間程度勉強して入ったのではないでしょうか…。私がまだ実家に住んでいた頃はテレビでクイズ番組を見るのが好きだったのですが、例えば東大卒タレントの木村美紀さんは、本当に「努力の人」という感じで、血のにじむような努力をして合格したタイプの方です。

たま~に「頭の良い人は天から与えられた才能により、全く努力も苦労もせず幸せを約束されている」と思っている方がいるのですが、世の中のほんの数パーセントの「鬼才」の人はそうかもしれないけれど、大部分の人は努力や苦労を強いられるのが普通です。

「頭の良い人にはわからないことなんてないんだ」と思われるパターンもあるようですが、どちらかというと、「わからないことをどう調べたらいいのかがわかる力がある」ということなのではないかと私は思います。

家庭用の家電さえも使いこなせないほど機械音痴な私は、少しだけITの会社でお世話になっていたことがあります。

右も左もわからないのはもちろんで、何がわかっていないのか・何をどうやって聞いたらいいのかもわからない私にとって、優秀なエンジニアの方々はまるで「天才」に見えました。

知らないこと・わからないことがなく、スムーズに仕事をしているように見えるエンジニアたちも、話を聞いてみると実はわからないこと・壁にぶち当たることも0ではないとのことでした。

でもそのときに「ここでつまずいているんだったら、ここを見直してみよう」「これがわからないから、こういう風に調べてみよう」とトラブルへの対処の仕方が適切だったのです。問題が発生しても、「どう対処しようかな」と考える道筋が素晴らしかったのです。

最初も最後も自分しか頼れる人はいない

最近私がハマっているテーマは「自分の人生を創造する力とモチベーションを持つことが大事」という話です。

(関連記事→「心の声を育てる

焦燥感あふれるセミナー難民から解放され、良質な時間を過ごせるようになりました。」)

そもそも自分が「何をやりたいか?どうしていきたいか?」と考えることができなければ、スタートラインに立つことさえできません。「どんなスタート地点にどのように立つか」にも自分の力が必要になります。

入学、就職、転職、起業、保険、恋愛、結婚、子育て、ローン……「人生は選択の連続である」とよく言いますよね。誰かに手伝ってもらうことはできるかもしれない、アドバイスをもらうことはできるかもしれない、だけど結局自分の人生を歩いてくれるのは自分しかいないわけです。ヒントをもらうことはできても、選ぶことは自分にしかできません。

冒険系のゲームをやったことがある人にはわかりやすいかなと思うのですが、スタート地点から移動していくと、最初は弱い敵ばかりが出てくるんですよね。冒険を進めていくと中ボスが出てきて、「雑魚の相手をしながら道を進む→中ボスに出会って倒す」を何回か繰り返したら、ラスボスに到達して倒して終わり…という流れでできていることが多いです。

メーカーのミスがあって、急にレベル1のままレベル100のラスボスのところにたどり着ける仕様になっていたとしても、全然嬉しくないですよね。逆に怖いし、レベル1のまま挑んだって非効率です。順当に雑魚と中ボスで自分のレベルを上げながら、冒険が徐々に難しくなっていくから面白いんですよね。

何を言いたいかというと、生きていれば簡単な選択から難しい選択まで、たくさんの選択が降ってきます。自分がレベル1のままレベル20、50、80…と難しい選択が降ってきても、しんどくないですか。だったら、自分の基礎力を上げておけばいいのではないかと思うわけです。

誰かが手を差し伸べてくれたとしても、教えてくれたとしても、結局掴むのは自分、選ぶのは自分、決めるのは自分…自分しか頼れないんですよ、最後には。だったら自分を鍛えてレベルアップしておいた方が、快適な人生を送れそうです。

「だけど、学校の数学とかと人生を生き抜く力って関係ないよね…?」と思う人が多そうですね。

学校の勉強を何に使うかというと「脳の基礎力」を鍛えるため

野球の試合で勝つために、素振りや腕立て伏せが有効なのか?」と言っているのと同じことなのではないでしょうか。直接的には関係ないように見えるけど、基礎力を鍛えることは間接的に野球で強くなることにつながる可能性があると言えるでしょう。

家庭料理で和食をおいしく作れる人は、多分洋食を作っても中華を作っても、だいたいおいしく作れると思うんですよね。「じゃあ味噌汁を作りまくったら、エビチリを作るのがうまくなれますか?」っていうとちょっとニュアンスが違うけど、基礎力が根底にあって損することはないと私は思います。

弁護士・政治家の橋下徹さんがバラエティー番組でニートの若者相手に話していたことがあります。弁護士になって最初にやった仕事が非行少年に関わる仕事で、かっちりしたスーツと整えた黒髪では非行少年が心を開いてくれないものだから、カジュアルな格好で茶髪パーマにしてみたら「異端児」と呼ばれるようになったそうです…。

それは置いといて、彼は自分がこの年になったときに政治家になるという計画を予め立てて、計算して過去を作ってきたわけではなく、とにかく目の前にあることに全力で取り組んできたら、なぜか急にタレントのお仕事をもらったりとか、政治家として仕事させてもらったりとか…そういうドラマチックな面白いこと、ありがたいことを与えてもらえたから、とにかく目の前にあることを全力でやれっていう主張なんですね。

リベ大の両学長をはじめ、経済的自由を達成した人や経営者という職業の場合は、「自分が達成したい最終目標はこれで、これに投資したらこれくらいのリターンが得られるから、そしたらこういう結果になって、次にこれができるから、これをやろう」みたいな感じで結果の地図を先に描いてから、目の前に持ってくることを決めて、そうしてから全力で取り組むっていうスタイルがほとんどです。金持ち父さん貧乏父さんで言うところのB(とI)の人ですよね。

(関連記事→「今更だけど金持ち父さん貧乏父さんの話をします。」)

一方で弁護士さんだとEかSで生きていくことが多いと思うんです。それだったら「目の前にあることを全力で」っていう主張も納得です。どちらが〇でも×でもないし、好みや個人の性格の合う・合わないがあると思うので、目的と相性で選べばいいかと思います。

とにかく橋下さんは「目の前にあることを全力」タイプの思考なわけですが、若者が「親のすねをかじってるんですけど、これってどうですか?」という質問をしたときに、「すねをかじるなら、全力でかじれ!」と答えていました。

「必ず死ぬ」と書いて必死。例えば「漫画を描くのが好きだな~。数学なんてやりたくないな~。」と思うのであれば、死ぬぐらい全力で漫画を描けばいいと思います。社会人になって希望の職に就けなくても、とにかく帰宅後や休日に描いて描いて描きまくる。1万時間に到達するまで描く。本当に死んだら駄目ですが、それくらいの熱量で取り組んでいれば、いつかどこかで誰かが報いてくれます。

よくトイレ掃除やゴミ拾いなど善い行いをすることについて、「どこかで誰かが見ている」というセリフがありますが、必ずいつも全てを見ている人がいます。それは自分です。1万時間もやれば、「Twitterやnoteで発信してみようかな」とか、「本格的に独立して暮らしていきたいから営業に出よう」とか、自分の内面(無意識)が自分の背中を押してくれます

ということで、「目の前に降ってきたことを次々こなすのが好きでストレスにならない」「めちゃくちゃやりたいことがある」という人は全力でそれをやるといいと思います。「まだやりたいことが見つからない」「よくわからないけど将来が何となく不安」という人は、脳の筋トレとして数学でもいいし国語でも簿記でも…基礎力を鍛えておくのがいいんじゃないかなぁと私は思います。

私は学歴そのものよりも、「学生の頃に鍛えた脳の基礎力が生きてるなぁ」と思えることが多いので、個人的にはおすすめです。

最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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