好きなことをやるのは大事|ナード入会・アロマアドバイザーに|NARD JAPAN

スポンサーリンク

こんにちは。

久しぶりですみません。ちょこちょこ仕事やら予定やら入ったりで、休日らしい休日がないから「よっしゃ今日こそブログ書けるぞ」という気持ちになることもなく、気づいたら毎日が過ぎていっている今日この頃です。

何なら再来月のシフト減らそうと思ってたのに人足りなくて増やされそう。(笑)

うちの旦那は「嫌われる勇気」で有名なアドラー心理学(課題の分離)の正解をこれでもかと正確に歩めるタイプなので、サックリしてます。

(アドラー心理学について書かれているブログ→「インテグラルライフ・ログ>【アドラー心理学】課題の分離をわかりやすく徹底解説。本当の意味とは?」)

「人が足りなくて潰れるなら、採用ができなかった本部側の責任。一セラピストが責任を感じて負担を引き受ける必要はない。潰れるなら勝手に潰れろ。」的なタイプです。

私もだいぶここ数年で生きづらさを克服してきましたので、何でもかんでも手を差し伸べるのはやめました。

だけど「もたれかかられて依存されるのは困るけど、ちょっとぐらい助けてあげるのはいいよー。」というタイプなので「多少出てやるか。←偉そう(笑)」と思っています。

そんなこんなでしばらくブログの更新頻度は増えなさそうであります…。

NARD JAPANの講座に申し込んでみた

さて、私は以前からずっと受けたいと思っていたNARD JAPANの講座に申し込みましたよ!

詳しくは公式ホームページを見ていただけたらと思いますが、「アロマアドバイザー」とか「アロマセラピスト」とかの民間資格を取れる協会なんですよね。

(公式ホームページのリンク貼ります→NARD JAPAN

「アロマアドバイザー」の講座を受けるためにはまずNARDの協会員にならなければならず、年会費11,000円+消費税(2020年11月現在)を払う必要があります。

そして去年から入念に下調べしておいたスクールに受講費用や教材費を払います。金額設定は各教室によりますが「アロマアドバイザー」でだいたい13~17万円くらい。

そこで今回私がこだわったのは「1番行きたい教室に行くこと」でした。

探求心がある人が大好き

私は高校生のときに「公立学校の先生になれ」と親に強く説得されましたが、一度も目指すことはありませんでした。

私は探求心があり一生懸命工夫を凝らす人が大好きです。

「先生」に絞って言うなら人気予備校講師の方って、喋り方を面白くしたり、図をきれいに書いたり、板書の色を使い分けたり

  • どうしたら勉強を「楽しい」って感じてもらえるだろうか
  • どうしたらわかりやすいだろうか
  • どうしたら彼らがいい点数を取れるだろうか…etc

って様々な試行錯誤をしている先生が多いと思うんです。

だけど私が通っていた公立学校の先生は、あらかじめノートに書いてきたことをバーッと黒板に写すだけだったり、席順に教科書を朗読させて終わりと何の創意工夫もない(ように見える)授業を死んだ魚のような目で行っていたことが記憶に残っています。

そんな公立学校の先生の姿に「私もあんな風になりたい☆」なんてときめくことはできなかったのです。(通訳さんとか、きれいなスーツを着てキラキラと目を輝かせながら努力を重ねるワーキング・ビジネスウーマンのほうがよっぽど憧れが持てました。)

つまり①その対象(科目、分野、物など)がどれだけ好きかという情熱と、②相手に「楽しい」「わかりやすい」と思ってもらったり、いい結果を出してもらいたいという愛の大きさで、私がその人に惹かれるかどうかが決まる…という自己分析結果になりました。

それで「NARDの講座を受けられればどこでもいいや」ではなくて、自分が納得して1番気持ちよくお金を出せる教室を見つけようと思い、去年から調べていたのでした。

自宅からアクセスの良い教室や、主要な駅から近い教室、料金が安めに設定されている教室など色々ありましたが、私は先生の人柄で選びました。

その良い悪いはどうやって決めたのか

私たち人間は「アクセスが良い=良い教室」「主要な駅から近い=良い教室」「料金が安い=良い教室」ってついつい日頃の思考の癖で思ってしまいがちですよね。

だけど例えば「黒い服=良い服」でしょうか?「安い食べ物=良い食べ物」でしょうか?

答えは個人の好みや状況によって変わると思うのです。

女性が取引先の男性と話す際になめられない・しっかりした印象を持ってもらいたいと思えば黒を基調としたコーディネートもいいでしょう。

あとはアクセサリーが主役になるコーディネートの時はシンプルな黒のワンピースなんかいいですよね。

だけど結婚式に参列したり、パーティーに参加したりお見合いをしたりするときは、明るい色の服を着ると自分も周りも明るい気持ちになれるわけです。

以前ネットにこんな声がありました。「子どもに絶対に・一切ファストフードを食べさせない親ってどう?」って。

そりゃ健康に良いわけじゃないのはわかる。だけど高校生にもなればファストフード店でお友達とだべる付き合いも大事でしょうよと。

そのうち誘われなくなったり、話についていけなくなったりしたら、子どもが過ごしづらいんじゃないの?多少の付き合いぐらい許してもいいんじゃない?ということです。

私もファストフードやファストファッションは高校生や大学生が小さな額からお金の使い方を練習するためには良いんじゃないかなと思っています。

もちろん健康のことを第一に考えるならファストフードじゃないほうがいいと思います。

だけど「決められたお小遣いを友達付き合いを考慮しながら計画的に上手に使う練習」っていう意味ならファストフード店での買い物もありですよね。

ある時はスーパーで異常に安すぎる野菜なんか見ると、「どれだけ農薬と促進剤使ったんだ!?大丈夫!?」って逆に不安になる時もあります。

さて「黒いことはいいこと」「安いことはいいこと」なのでしょうか?

個人の好み・価値観・状況によって正解は変わりますよね。

私たちはつい「駅から近いの!?ここ良い教室じゃん!」なんて言う風に「駅から近いこと」と「良い教室であること」を無意識にイコールで結んでしまったりします。

「無意識」が悪いほうに働いてしまうと、「いいと思って」選んだはずなのに幸福度が上がらないのです。

そう、【はず】だからです。偽物だからです。

「合わせやすい」と思った服をいっぱい買ってみたものの、クローゼットはパンパンなのに着る服がないとか、使いづらいとは思いながらも「高かったから」とつい取っておいてしまう雑貨や道具が生活の邪魔になっているとか…。

「合わせやすい服は良い服である」「値段の高い・高かったものを保持しておくことは良いことである」と「良い」を満たしているように見えるのですが、その「良い」は無意識が作りだした幻想であるから、満たしても満たしても幸福度は上がらないのです。

ここ数年「自分らしい人生を送る」「本当に好きなことをやる」といったテーマに沿って生活を組み立てようと考えていたので、こういう風な「駅から近い→良い」といった無意識に流されず、いわゆる「魂の喜ぶほうへ」的なことを重視してみました。

今回私が選んだ教室は、先生が熱心で協会のテキストの他に自作のプリントを用意してくださったりする、遠方の生徒さんからも人気の教室です。

アクセスは大変で、値段も他の教室より高いのですが、大人気で複数ある講座の一部が開講できなくなるくらい生徒さんが集まっているみたいです。

私の自宅近くにも教室はあるんだけれども、清水の舞台から飛び降りる気持ちで「えいやーっ!」って受講するわけだし、しかも今後その知識を自分以外の誰かに教授していく立場になる可能性があるわけじゃないですか。

それで1万円やそこらをケチって1番行きたい教室を諦めるって、すごくもったいないなって思ったんです。

もともとNARDのコンセプト自体も好きだったし、そこの教室もずっといいな~って思って1年前くらいに問い合わせメールを送ったこともあったんです。

協会の年会費と受講費を合わせて、まとまった出費にはなったけど、申込手続きが完了したとき、ありきたりな表現ですがとてもワクワクして「よっしゃ~!ついにやるぞ~!」みたいな気持ちになれて、1回目のレッスンがすごく楽しみになりました。

実際に1回目のレッスンに参加してみて、やっぱりすごく通学時間はかかるのですが、かかった時間の割には全然疲れなかったんです。

だから「通学時間が長いか短いか」ではなく「好きかどうか」が大事なんだなって改めて思いました。

ここでアロマの教室の話は終わりです。ここから先はアロマの話は出てこず、仕事・ビジネスのモチベーションにつながる話を書いていきますが、よかったらこのまま楽しんでください。

「好き」ほど大事なものはない

苫米地英人さんの本(多分これだったと思います↓)に「バイトでたこ焼きを焼くのは疲れるけど、学校祭で好きな人と焼くんだったら、何時間やったって疲れない」っていう話があるんですよ。

そう。嫌なことはたとえ短時間でも疲れるし、好きなことは長時間でも疲れないのです。

そして同じく苫米地さんの本に影響を受けたことがあります。

すごく簡単に言うと「趣味をめちゃくちゃ熱心にやれ」っていう話が出てきます。

大好きなことを追求していけば、人間自分のことでは飽き足らず他人に価値提供したくなる。

好きでもない仕事を嫌々やっていたって価値は高められない(高めにくい)。好きなことをとことんやれば、どんどん価値が高まるから、とにかく好きなことをいっぱいやりなさいと言うのです。

私はアロマアドバイザーの資格を取ることになったわけですが、これは実益っぽくもあるけど私の「好きなこと」なんです。

私たちって、労働や家事に時間を割くことにはあまり抵抗を持たないのに、趣味にお金や時間をたくさんかけようとすると、罪悪感ためらいが生まれませんか?

私も最初「言うて、必ず・すぐに仕事にするわけでもないだろうし、ほぼほぼ趣味になり得るわけじゃん?趣味にこんなにお金かけていいもんかね?」と疑心暗鬼になりつつも、過去の・いつもの自分とは違う選択をしたんですね。

そうしたらやっぱり、心が台風が去った後の快晴のように変わりました。

ビジネスをやりたいのか、やるべきなのか

私は数年前から周りの雰囲気に流されて、何だかビジネスをやらなきゃいけないような気がしていました。

「年金もらえないかもよ」とか「怪我や病気の際は働けないでしょ」とか、「日本円の価値は下がって預金の利率も低いのに貯金だけしてても駄目でしょ」とか、一定数の人たちが色々な言葉でビジネスをやらないといけない雰囲気を作ってますよね。(^_^;)

私もそういう言葉を聞いていて「大事なんだろうな」「やっておいたほうがいいんだろう」とは思ったものの、心の底から「やりたい!」と気力が湧きあがる感じではありませんでした。

だからセミナー会場やSNSとかで「毎日の積み重ねが大事!」「今のままでいいの?」「老後の2000万円用意できてるの?」「集客できてるの?」「ビジネス塾に入らずに結果出せたの?」「売上いくら?」みたいに煽られても正直「うーん、うるさいなぁ。なんで私の人生なのにあなたに文句言われなきゃいけないわけ?」っていう気持ちでした。(笑)

最初の動機が「1つの収入源に頼るべきではないんだろうな~」「個人で稼げる力を持っておくべきなんだろうな~」みたいな「べき」に縛られたものであり、別に私がやりたいことではなかったので、全然ピンと来てなかったのです。

私は以前「節約することはいいことだから」となるべく外に出ないようにし、休みの日は家で倹約生活をしようと思っていました。

その結果、家にいるのに・何もしていないのに疲れていたんです。

だから「家にいてもこんなに疲れるぐらい体力がないなら、外に出たらもっと疲れるからやめておこう」と思っていたのですが、本当は逆でした。

何時間もかけて教室に通い、がっつりと日常では使わない難しい勉強をして、宿題をやって…かかっている時間と労力は多いはずなのに、家にいたときと比べてはるかに疲労度が小さいのです。

良いことを積み重ねれば幸せになれると思い込んでいた

「好きなことを我慢して、辛いことを一生懸命続けていれば、いつか報われて幸せになれる」

私はそう親から教わりましたが、みなさんはどうでしたか?

子どもの頃は親を恨んでいましたが、今となっては「悪気がない」というのは本当で、親自身も見えない何かに縛られていたんだろうなと思います。

例えば、好きじゃないけど「作り置き」を無理して頑張ったら、旦那も子どもも笑顔になってくれて、自分に幸せが訪れるんじゃないかと思い、無理して頑張ってみるも全然幸せは訪れない…なんてこと、ありませんか。

節約番組で安い食材を手に入れるシーンが印象的なので、うちの母も「デキる主婦でありたい」と言わんばかりに1円5円安い物のために車でスーパーをはしごしていました。

だけど、仮に最安値で全ての食材や日用品を手に入れたとして?デキる主婦になれたとして?

幸せはいつどのような形であらわれるのでしょうか?

無理して急いで、前の車に暴言を吐き、髪をふり乱し、眉間にしわを寄せ最安値の物を買いに行く姿も、買い終わった後の姿も、特に幸せそうではありませんでした。

逆に「最近仕事が忙しくて何も考えられないの~。あ、これも買っちゃお~。」なんてカルディでちょっとお高いパスタソースを買っている時のほうが、よっぽど表情もゆるやかだし、おいしいパスタを食べられて本人も家族も笑顔が増えました。

「辛くても無理をして、世間で定められている正解を満たせば、いつか幸せが訪れるだろう」と思っていても、幸せは向こうからはやってきてくれません。

実は、人は「自分で自分を幸せにしなければならない」生き物なのです。

だったら、「食料品を最安値で買うことは良いことだ」「学歴が高いことは良いことだ」「正社員で働くことはいいことだ」「個人で稼げる力を持っているのはいいことだ」…なんていう一般論的な正解は無視して、自分の正解に沿って選択すればよいのです。

【普通は】習い事って家から近い場所や安いところでするじゃないですか。

でも私はあえて【普通は】じゃなくて、極端に遠くても高くても、【こだわりのところで】やってみようって思ったんです。

そうしたらあら不思議!

「趣味でやって何が悪い」と捉えていたはずのアロマ。「人に広めたい」「仕事にしたい」っていう気持ちがどこからともなくやってきて、すごく心が燃え上がったような感じがしたのです。

そう。やりたいことを徹底的に楽しんでいれば、煽られなくたって自然と「仕事にしたい」「より多くの人に広まってほしい」といった思いが湧いてくるのです。

やっぱり、仕事も人生も「べき」ではなく「たい」に沿って決めていくべきだと実感したのでした。

みなさんは「やってみたいかも」と思うことはありますか? それなら、ぜひチャレンジしてみてください。^-^

(講座の紹介記事もあります→「ナードジャパンのアロマ講座を受講生の立場から紹介します①レッスン1~6」)

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

スポンサーリンク

Follow me!