「ちゃんとしたい」を手放せば幸せになれる

こんにちは。

久々の更新ですね!(>_<)

4~5月はコロナの影響で職場が休業し、スーパーやドラッグストア以外のお店がほとんど閉まっていて、ほとんどの時間を自宅で過ごすことになりました。いわゆる「暇」だったのです。

その頃はブログを書きたいとか本を出版したいとか、たくさんのやりたいことや目標を思いつき、実際に行動に移す時間もあったわけですが、職場が営業再開してシフトが増えて、ブログを書いていなかった頃の生活に戻ろうとしていました……。

それでもやっぱりブログを書きたいというモチベーションがどこから湧いてくるかというと、「思考を整理したい」と思ったときです。

今回は「ちゃんとしたい」への執着の話を書きたくて、ブログを開きました。

「ちゃんとしたい」は手放したつもりだった

幼少期からとっても真面目に育った私。

父はストイックで堅く、怒っていなくても怒っているように見える鋭い眼差し。

母はヒステリックで怒鳴り声も暴力も、衝動が湧いたものは全部行動に移してしまうタイプ。

世の中には大人に逆らったりする子もいますが、私は逆らったところで自分が怒鳴られたり睨まれたり暴力を振るわれ不快な思いをすることがわかっていたので、もはやあきらめていたのか従順なお子ちゃまでした。

そして中学生の頃に相性のいい先生に出会えたことで勉強も楽しくなり、日常生活での性格も「真面目」と言われる人間になっていきました。

簡単に言うと「完璧主義」のようなところがあり、精神がかなり疲弊することが多かったので、20代前半から心療内科に行っていました。

色々な病院があると思いますが、私が行ったクリニックでは幻覚や耳鳴りなどの明らかな症状がある人だけを相手にしていたのか、希死念慮を訴えても「それくらいの年の頃は悩み事がよくあるものだから」と何も解決にもならないこともありました。

なので「病院・クリニック」に頼ることはなくなり、いわゆる「カウンセリングサロン」にも通ったりもしました。

私は目に見えない影に追いかけられ、ありもしない正解をがむしゃらに追い求め、「いつもきちんとしていよう」「いつもちゃんとしていよう」と真面目で完璧主義なところがあり、そのせいで精神が疲れすぎる……

だから「なるようになればいいさ」「ほこりぐらいじゃ死なない」「朝起きただけでえらい」というように自分を許して褒めて、「頑張らないことを頑張る」ことに注力し、だいぶ生きづらさを克服してきたつもりでした。

そんなカウンセリングに通っていたことも忘れていた今日この頃、正社員の求人にすごく惹かれてしまい「ちゃんとしていたい」という無意識の欲求がまだまだ消えていないことに気づいたんです。

できなかったからこそ憧れる正社員

こんなことを言ったら当事者の方には「お前に何がわかる」と思われるのかもしれませんが、ドラマやアニメに出てくる心臓の弱い子が「あなたは心臓が弱いから、お友達のように走り回って遊んではいけないからね」と言われ「めいっぱい全力疾走をしてみたい」と思う気持ちに似ているのかなと思いました。

同じ大学を卒業した友達や仕事をしている中で出会う人々を見ていると、みんなみんな正社員で頑張っているように見える。

いかにも専業・パート主婦という感じの習い事でもすれば、そういう人との接点もできるのかもしれないけど、無理して作らなければいけないとも思わないので、自然と正社員の人との出会いが多くなり、そして罪悪感を抱える。

私も一時期は正社員でした。

知人の紹介から今は保存料や着色料無添加の冷凍食品を買うようになったので、かなり楽になりましたがそれを知る前は食品添加物が入ったお惣菜や冷凍食品に頼ることができず、全て手作りで頑張っていました。

(リーキーガットの治療をしていて、少量でも食品添加物が入っているものは完全除去しないといけない時期があったのです…。)

今の旦那と籍を入れる前に同棲していましたが、バスタブを洗う以外の家事が一切できない旦那。

私は会社から帰ってきて夕飯を作り、夕飯が終われば翌日のお弁当の準備をし、皿を洗い服を洗濯し、倒れるように布団に入ったら疲れも取れぬまま目覚ましの音で起きてお弁当作り…。

そしてIT系で技術職だったため、スキルを磨こうと自宅でも勉強をしていました。

ちなみに訳あって旦那のお金がない時期で、20代前半の私のお給料だけで家賃やら生活費やらの全てを賄わなければいけなかったので、職場から離れた家賃の安いエリアに住んでいました。(=通勤に時間がかかり疲れる。)

そしてお金がなかったので土日のどちらかは早朝から深夜まで丸一日副業をしていました。

そりゃあもうキャパオーバー以外の何物でもありませんでした。(笑)

おそらく元々の体質としてロングスリーパーなので、普通の人のように0時に寝て6時に起きるくらいの標準的な睡眠時間だと足りないのです。

睡眠不足のせいなのか、まず目覚ましの音で起きた時点で頭は痛いし体は重い。通勤電車に乗っていてもめまいと吐き気と息苦しさで、顔色が悪く席を譲られたり、途中下車したり…。

世の中には旦那が一切家事ができず、実家が遠くて誰の助けも借りられなくても、正社員で働きつつ何なら副業もして、3人4人のお子さんを育てている方もいらっしゃるんですよね。

そういう旦那さんに限って「品数は何品以上」とか「お惣菜は認めない」というルールがあったりして。

そういう人を思い浮かべると

  • 私、もっと頑張れるはずなのに
  • どうして私は自分にこんなに甘いんだろう
  • みんな頑張っていることなのに
  • 根性が足りないのかな
  • 旦那が家事に厳しくないだけ恵まれているのに……etc

と自分を責めてしまいます。

世の中には辛くたって何だって、もっともっと頑張っている人がいるのに、自分はこの程度でなぜ泣き言を言っているんだろうって。

悔しいやら情けないやら悲しいやらで、当時は涙が出てきました。

真面目だから「だって面倒くさいんだもーん♪」みたいなことが言えず、ずっと正解・理想の姿でいようとして頑張ってしまっていたんですよね。

「みんなと同じように根性を持って頑張りたい」「自分に甘くしたくない」と思いつつも、ふらつきや吐き気が酷すぎて踏ん張ることもできず、結局未練たらたらのまま正社員の仕事は辞めてしまったのでした。

現在はパートタイム

「頑張り屋さん」「真面目」なタイプですが頭痛・めまい・吐き気・ふらつきのない日々を送る快適さには勝てずパート(個人事業主)で働くことに落ち着いています。

6~8時間、平均週3日パートにも関わらず1日働くとかなり疲れてしまい、6時半に起きるためには前日の21時に寝ていたり、次の日に昼寝の時間を設けたりします。

そんな感じで体力はダメダメですが、それを補うかのように家事は旦那の満足するようにやっています。

ジャムやティラミスなどのお金を出せば買えるものをあえて手作りしたり、ひき肉はひき肉を買わずかたまりの肉を買ってフードプロセッサーにかけたり、あとはミシンでマスクを縫ったり…。

旦那は以前からずーっと私が専業主婦になることを希望していましたが、こんな風に私が外に出てお金を稼ぐよりも手作りの何かを食べられることが嬉しいタイプのようです。

だから「俺たち2人が今の生活に満足しているのなら、無理をしてnatsuが正社員をやらなければいけない理由はどこにもないでしょう。一体何のために正社員をやろうとしているの?」と聞かれました。

そりゃあ社保やらボーナスやら正社員には正社員の特典があるわけですが、それを差し引いても私たち夫婦の幸福度は、私がパートのほうが高いのです。

なんなら私は今が人生で一番収入が少ないのに、人生で一番貯金のペースが速いのです。

そう。私は主観的に見ても客観的に見ても、どう見たって正社員をやらないほうが正解なのです。

けれども「正社員」への憧れを捨てることはできない。

今はインターネットを使ったビジネスで正社員以上の収入を得るチャンスが誰にでもある時代ですが、私の心は収入を増やしたいわけではないみたいです。

ではなぜ「絶対やめておいたほうがいい」はずの正社員に、こんなにも憧れるのか…そう考えていたとき次のような答えが思い浮かびました。

ちゃんとしていることを褒められたい願望

「ちゃんとしている自分を褒められたい」。

私たち人間は子どもの頃から「しっかりしなさい」「ちゃんとして」なんて言われて育ってきます。

三つ子の魂百までと言いますがやはり子どもの頃にいわれた言葉の影響で、大人になってからも「ちゃんとした人でいなきゃ」と思うようになるのでしょうか。

「私、今ちゃんとしてるよ!頑張ってるよ!」っていうことを誰か……そう、母に認めてほしいようです。

カウンセリングや断捨離を通してそんな執着はとっくに手放したつもりでいたのに、まだ無意識の中に残っていたんですね。

「いいお母さんになりたい」と思いながらも、自分の思い通りに家事育児をこなせずにノイローゼになったり精神を病んでしまう人がいます。

真面目な人は「いいお母さんになれなかった」と思って精神を病んでしまうわけですが、おそらく「いいお母さん」の内容は「1日30品目の食べ物を冷凍食品やお惣菜を使わずに手作りできるお母さん」「ちりほこりや油汚れ、カビや水垢が一切ないホテルライクの清潔感と高級感が溢れる空間作りができるお母さん」「家事を手抜きせずに子どもの前でいつも笑顔でいられるお母さん」といったものだと思います。

それ、どこの誰が決めたゴールなの?そんなの頑張らなくていいよ…と外野は思ってしまうところです。

でも本人はいたって真剣にそれをクリアできない自分に悩んで頑張っているのです。

ケースバイケースもあるかとは思いますが、子どもってお母さんの笑顔が1番好きなんですよね。

だからイライラしながら栄養満点の食事を作ってもらって義務的に食べるよりも、お惣菜でも何でもいいから笑顔で楽しく食べたい……少なくとも私が子どもの頃はそう思っていました。

つまり「子どもから見たいいお母さん」の条件と「お母さんが思っているいいお母さん」の条件は違うんです。

そもそもなぜ「いいお母さん」になりたかったかと言えば、子どもにいい影響を与えたいとか、家族みんなで幸せに楽しく暮らしたいからだと思うのです。

ではなぜ子どものために「いいお母さんになるぞ」と思ったにもかかわらず、「子どもから見たいいお母さん」の正解を満たそうとしないのでしょうか。

それは「どこかの誰かの声が邪魔をしているから」です。

子どもの頃に「お菓子ばかり食べていないで【ちゃんと】栄養のあるご飯も食べなきゃダメよ」と言われたり、「専業主婦だったら【ちゃんと】料理ぐらいやれよ」「【ちゃんと】栄養のあるものを食べさせないと」なんて、自分の親ならまだしもどこの誰かもわからない人の「ちゃんとしろよ」の言葉に惑わされてしまっているのです。

私も正社員の求人に惹かれてしまったときに「子無し パート 主婦」なんていう検索ワードでネットを見てみたんですよ。

そうしたら「子無し」や「パート」を良く思わない人の悪口みたいなものも複数ありました。

それを見て「そうだよね…やっぱり、パートの私なんて怠けていてダメ人間で、生きている価値がないよね。」と引きずられてしまう私はまだまだです。(^_^;)

その悪口を書いた人って北海道と沖縄の距離ぐらい遠くに住んでいるかもしれない、一生出会うこともないかもしれない、何なら本心ではなく炎上商法みたいなもので注目を集めたかっただけかもしれないし、その人の正解を満たしてあげなくても、私(たち夫婦)には何の問題もないわけです。

その人の正解を満たそうが満たすまいが、私たち夫婦の幸せな日常は明日も訪れ、何も問題がなく家庭が回っていきます。

「知らぬが仏」という言葉がありますがインターネットがなかったとしたら、私は家の中で家事をこなし旦那が喜び、「どこに住んでいるかもわからない、名前もわからない誰か」がパート主婦を恨んでいることなんて露知らず、のほほんと過ごしていたことでしょう。

そう、私たちは知りすぎてしまったんですね。

それも大して重要でもないことを。

かなえたいと思った目標、破ってはいけないと思ったルールは、一体誰のための何のためのものなのか、今一度見直してみるといいかもしれないなと思った今日この頃でした。

(親や社会が決めた理想よりも、自分の心の声で理想を描こう…という記事も書いています。よかったらこちらもご覧ください→「心の声を育てる」)

(なぎまゆさんのお片付け本も面白いですよ→「アメブロ>「ちゃんとしなきゃ!」をやめたら二度と散らからない部屋になりました」)

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

Follow me!