満足は金で買えない|ローン返済への道②

前回「満足は金で買えない|ローン返済への道①」の続きから

それまで家計簿をつけては挫折、つけては挫折を繰り返していましたが、2019年12月から現在に至るまではずっとつけています。今はエクセルでつけていますが、クレジットカードを連携できるアプリも気になっています。

特に厄介だったのが、高級なケーキなどは贅沢・無駄遣いだとすぐに認識できたものの、「努力しないことは悪いこと」「努力は生きる上で必要なこと」ということを疑う発想を持つことができなかったので、むしろお金を使えず努力が停滞することに罪悪感が生まれ、節約が進まなかったことです。

それでもセミナーを受けるのでなく本で勉強したり、資格の勉強をすることであえて自分の時間を拘束してお金を使わせないようにしました。1ヶ月に買う本の数も徐々に減らしていくことができました。それでも1番本にお金を使っていたので、服や靴、美容室代などを削って本に充てていました。

(関連記事→「私が資格マニアと呼ばれるようになったわけ①

私が資格マニアと呼ばれるようになったわけ②」)

(「本好きなら図書館は?」と言われることもあるのですが、中古の本を触って手が痒くなることがあるのでためらっていました。勇気を出してデビューしようかなと思っているうちにブログを始めて、ブログに時間を拘束されるようになったので、結局今住んでいる地域では図書館デビューをせずにここまで来ました。)

少しず~つ少しず~つ明らかなムダ金も、私にとってはそうではないムダ金も減らすことができ、また完全歩合制の恐怖を思い知ったので時給制のセラピストに転職しました。

時給制では月給が読めるので、翌月のシフトができ次第、時間×時給×日数の概算でエクセルに入力しておきました。欲しいものがあるときは、通信費などの絶対に必要なお金をあらかじめ計算して引いて自由に使える金額を出しておき、そこからマイナスするシミュレーションをすることで、うまく管理できました。

徐々に収支の管理ができるようになってきた頃に緊急事態宣言の発出があり、ますます支出を引き締めました。ここで支出を引き締めるのがうまくなったものの月給の低さにストレスを感じていたので、緊急事態宣言が解除されて2ヶ月ほどで、時給と完全歩合制の掛け持ちをし始めます。

支出を引き締め、物に優先順位をつけてお金を払うのがうまくなっていたので、歩合制の仕事をしてもストレスで散在することはなく、金銭面でも精神面でも安定した生活を送れるようになりました。

給付金の10万円はもちろんローンの繰り上げ返済に。「地元の飲食店に使ってあげるのが良いらしいよ」と聞いてはいたものの「すみません、ローン返したらいっぱい行きます!」と背に腹は代えられませんでした。(-_-;)

「最近、金銭面も精神面も落ち着いてきたな~」と思いながら過ごしていると、歩合制のほうの収入も良く、「あれ?もしかして!」とクレジットカードの明細と預金口座を何度も見比べました。

口座と明細の画像

ひと月ごとにローンの返済額を徐々に増やしていった結果、なんと今月でI社のキャッシング分を片づけることができたのです!約1年かかりました!

「借金があるなら会社終わった後にコンビニのバイトをしてでもいいから早く返したほうがいい」という言い分があるのもわかっていて、過去に試してみたのですが、逆に疲れてお惣菜を買ってしまうなど高くつくするので、なるべく無理のない範囲とお金を多く返せるところのバランスを取れるようにじわじわ頑張ってきました。

エクセルで収支の管理をできるようになり、まともな思考で動けるようになってから利息うんぬんもありますが、仮に利息が0だったとしてもずーっと毎月払わなきゃいけないお金がのしかかっているというのが負担に感じるようになりました。

事業で使うものだったら、借金も必要に応じてうまく取り入れるべきなのでしょうが、そうでない場合は毎月毎月ずーっと課されているものがあるのは、窮屈なので解放されたいと思うようになりました。

まともな思考しかしたことのない人には伝わらないかもしれませんが、こちら側の人間からすれば、すごい変化なんですよ。(笑)

「ものさしでははかれない価値」に気づく力を鍛えよ

こんな私が「今なら理解できると思うから」と旦那に勧められて「苫米地英人の金持ち脳」を読んでみました。私の場合は、一番大事だと思ったことは「自分の心を満たしてくれるものに気づく訓練が大事」ということです。

人間はどうしても、ものさしを使って物の価値をはかりたがります。高級な時計は良いものだと思ってしまうし、高学歴な人を良い人だと思ってしまうし、豪華な花束をもらったら愛されていると感じたりします。

けれどもまだヨチヨチと歩き始めたばかりの小さい子が、道端の雑草に混じって咲いているお花を摘んでお母さんにプレゼントしたらどうでしょう。それは無料でも、唯一無二の宝物になるのではないでしょうか。

また、とある料理研究家の女性は子どもの頃に初めて卵焼きを作っておばあちゃんに食べてもらったのだとか。加減もわからず1人分の卵焼きにポン酢を1本近く使ってしまい、今考えるとかなりしょっぱかったのではないかと思うけど、当時おばあちゃんは「おいしいおいしい」と完食してくれて、それがきっかけで料理に目覚めたのだそうです。おばあちゃんにとっては本当においしかったんでしょうね。

(私は弟を溺愛していますが、実はおばあちゃんも大好きです。あぁ……田舎に帰りたいなぁ。(^_^;))

このように世の中にはものさしでははかれない価値が存在するし、そういったものにいかに気づけるかが金持ち脳と貧乏脳、ひいては幸福と不幸を分けるのです。

うちの旦那は物欲のない人でお店の前を通っても「特に欲しいと思わない」というタイプです。一方私は今でこそ落ち着きましたが、「あれがほしいけどお金が足りないから我慢しないといけない」というタイプでした。

なんなら目に映る全てのものが魅力的に見える。でも貧乏だから我慢しなければいけないと思っていて、他人も同様に欲しいものはあるけどお金がないから我慢して使わないように努めているんだと勝手に思っていたので、「そもそも欲しいと思わない」と聞いたときには驚きました。

外出自粛で運動不足が気になり始めてから、私たち夫婦は健康を維持するために夜にウォーキングをするようになりましたが、これが偶然めちゃくちゃヒットしました。運動にもなるし、本を読んで気づいたことや仕事での目標、今後行きたい温泉など娯楽の話をしていると2人とも笑顔になれます。

SNSを見ていると「外出ができないから家の中でレジャーシートを広げて、その上でおにぎりやサンドイッチを食べるだけでも子どもは大喜び。意外とお金をかけなくても楽しめることってあるんだなと思いました。」などの言葉がありましたが、安い・無料でも家族みんなが笑顔になれる方法って、気づかないだけで意外とあるんですよね。そういうことにもっと気づいていきたいなと思いました。^^

また外出ができなくなったことにより、食事を作ることに疲れた私は外出自粛を期に雑なご飯を作るようになりました。以前はそれなりに余裕があったのでしょう。例えばカレーライスでもカレーだけでは駄目で、サラダやデザートを手作りしたりしていましたが、そんな余裕もなくなり「ごめん!今日カレーだけ!」と1品料理で済ませることも増えました。

ずっと1品しかないのは栄養バランスが偏りますが、たまにそういう日があっても、意外と平気なんだということを実感しました。一汁三菜を完璧に作るのが当たり前だと思っていましたが、一汁一菜でその代わり汁物に野菜をたくさん入れたり、おかずを作るのに時間がかかった日は汁物だけフリーズドライを使ったり、顆粒出汁を活用したり。

完璧を課さないことでストレスも感じなくなったので変に浪費することもなくなりました。

このように幸福感を味わいながら生活できるのか否かは「年収がいくらだから」「おかずが何品だから」「高級なケーキを買ったから」などなど絶対的な指標ではかれるものではなく、「自分はこれがいいな」「自分にはこれが合っているな」と気づけるかどうかにかかっているということを再認識させられました。

身の回りにある物事を自分がどう捉えているか、改めて考えてみると面白いですね。「いつも時間を見られるようにしておきたいから」という理由で買ったはずの時計が無駄に高かったことを思い出したり、無料だと思って見向きもしなかったものにハマったりしますから。

幸福は手に入れるものではなくて、脳を鍛えることで気づくしかないのです。ハッピーな毎日を過ごせるように、一緒に脳を鍛えていきましょう♪

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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