心が温かくなる松葉杖

こんにちは。

Twitter見てくださってる方はご存知かもしれませんが、ライターとして受けたお仕事に追われていたので、ブログがしばらく更新できませんでした。そんな中でもサーバーのアクセス状況を見てみるとそれなりの方が訪問してくださっていて、やっぱりブログってすごいなと思いました。いつも読んで下さりありがとうございます♪

私も他人のブログを見るのは好きだけど、顔も見たことがないのにいつの間にか好きになって、定期的に訪問したりするんですよね。SNSが急成長して簡単に人と人とがつながれるようになったけど、昔からあるブログはやっぱり信頼関係が築かれやすい堅いツールなんだなぁと思わされました。

(ファンになってくださった方には本当、感謝感謝です。また明日からも一生懸命書きたいというモチベーションを与えてくれます♡)

どんなにパンやうどんがおいしくても、日本の食卓から米が消えることってそうそうないじゃないですか。「ブログはもう時代遅れ」なんて言われていて、もちろん優れたアプリなども出てきているんでしょうけど、それでも支持されているなんて、私が4月に始めたブログというものはそんなにすごいものだったのかと驚きました。

紙の本とブログが好きなのでずーっと生き残っていってくれると嬉しいです。

ところで今日のお話は「怪我で心が豊かになったお話」です。人生を豊かにするためには無駄な第4領域の時間(無意味な飲み会や長すぎるゲームなど)を減らし、緊急ではないが最も重要な「第2領域」の時間を増やすべきと過去記事で書きました。

(関連記事→「有意義な1週間を過ごすためのフランクリンプランナー

有意義な1日を作る~Planning15~」)

最近、第4領域の時間は全然取ることなく真面目にやるべきことをひたすら頑張ってきた感があったので、ここらで息抜きというか心を温める時間を作りたいなと思い、このテーマにしました。

大学1年生の4月に靭帯断裂、手術の松葉杖生活は良い勉強代に

大学1年生の4月、スポーツ中に足をくじいて靭帯が切れ、手術して数日間入院した後、松葉杖をつく生活をしばらく送りました。松葉杖は中学生の頃にクラスのバスケ部の子が使っているのを見たことがあったので、知っていました。

その頃は怪我をしていても松葉杖があれば普通の人と同じように過ごせると思っていました。足が1本不自由なわけだから、怪我をする前の体と全く同じではないものの、松葉杖を使うことによって足りない部分が完全に補いきれているように見えたからです。

松葉杖をつくのはだいたい運動部の子なんですよね。腕や軸足の筋肉もそれなりにしっかりしているので、最初からとても器用に歩きます。だからこそ何にも困っていないように見えたし、手伝わなくても上手くやっていけてるんだと遠目に見ていました。

実際に松葉杖をついてみると、腕も軸足もかなり疲れるし痛いということを知りました。何なら持ち手をずっと掴んで体重をかけているので手のひらが痛いこともありました。

例えば駅で電車を待つとき、人間は普通なら無意識に体重を乗せ換え、片足だけに負担がかからないようにしています。だからこそ5分10分簡単に待てるのです。

「片足で立つ!?そんなの楽勝じゃん!何が難しいの?」と私が子どもだったら思うところですが、「片足で立ってみる」ことと「1日中絶対に片足しか使えない」ということは似て非なるもので、天と地ほどの差がありました。

1日中、疲れても痛くてもこの足しか頼れないんだと思うと気が滅入りました。

その大変さを実感した時「あぁ、中学生の頃の私はなんて非道なことをしていたんだ!」ととても後悔しました。もっとウザいくらい積極的に助けるべきだったと。

「あーなんか上手いことやれてるなー」なんてのんきに眺めていた過去の自分に、波平のげんこつを与えたいです……。

松葉杖をつきながらも電車に乗って大学に行っていたある日、同じ授業を受けて友達になった女の子が、教室を移動するときに「かばん持つよ」と言ってくれました。私は電車の中、駅から大学までなど一人で行動しないといけない場面が多いので、普段からリュックを使っていました。

「リュックだから、持ってもらわなくて大丈夫だよ!」と当たり前のように返すと「ほら、これだけでも結構楽でしょ?頼れる人がいるときは頼りなさい♪」と私のリュックの上についている持ち手をつかみ、私の肩から浮かせるようにして持ってくれました。

5㎝くらいリュックを浮かせただけで、別次元のように体が楽になりました。(電車で席を譲ると3回も4回も5回も頭下げてくる妊婦さんがいるけど、こんな気持ちなんでしょうかね。喜んでくれたのなら私も嬉しいです!)

1年生の4月に怪我をしているので、それまで授業で一緒になったのもせいぜい1~2回の友達でした。「知り合って長くもなければ、私があなたに何かをしてあげたわけでもない、なんで私にこんなに親切にしてくれるの?」と聞くと、このように答えてくれました。

「私も高校のとき怪我をして松葉杖をついていたことがあったんだよね。それで、たくさんの人が助けてくれたけど、もう会うことも恩を返すこともできないじゃん。

その時『恩を返したいなら、助けてくれた人に直接返すのは無理だから、今後怪我をしている人がいたときに、その人を助けることで恩を返しなさい。』って言われて、今こうして助けてるの。

だからnatsuも私には返せないんだよ。私に返さなくていいから、誰か怪我をしている人に出会ったときに返してね。」

同い年なのに、とても人生経験が豊富な人のように感じられました。

疑問視していた「恩」や「感謝」が腑に落ちた

私は小学生の頃から「恩」「感謝」に疑問を持っていました。「今のあなたの体はあなただけのものではない。ご先祖様たちのおかげで今生きているんだから、感謝しよう。」とか「育ててくれた親に感謝しよう。」という言葉が腑に落ちなかったんですよね。

小学生の時点で虐待により精神が壊れてしまっていたので、「今生きていられて幸せ→ありがとう」という発想になれなかったんです。

「なんで頼んだわけでもないのに勝手に産み落とされて、サンドバッグにされて、ご先祖様や親のおかげだから感謝しろって言われなきゃいけないんだろう。ご先祖様ってずーっと昔に死んだ人でしょ?その人たちが何をしたとか、知ったこっちゃないんだけど。大人が建前として言っているだけ?」とモヤモヤしていました。(今は精神が回復したので大丈夫ですけどね!)

そうして「なんで感謝しないといけないんだろう?」「私、何も嬉しいことしてもらってないし。」とモヤモヤしていたのが、この友達に助けられたことで「人と人とが支えあってこの世界ができているというのは建前だけじゃなかったんだ。」「いつかどこかの誰かがくれた恩が、またどこかの誰かに渡っていくのは素敵だな。」と思えるようになりました。

母はいつも「うちは貧乏」を口癖にしていて1円5円安い日用品のために遠くのスーパーまで行くタイプでした。私が手術を受けたときのお金は親が出してくれたのですが、14万円ほどかかり「怪我をするために大学に行かせたんじゃない!いくらかかったと思ってんの!」とめっちゃくちゃ怒られました。 (^_^;)

確かにお金だけで見ると「14万円損をした」という事実だけが残りますが、「若い時の苦労は買ってもせよ」のような感じで、不便で痛くて疲れる経験・人の温かさに触れる経験・自分の愚かさを思い知ることが出来た経験ができたことに大きな価値があったから、あの時の怪我はとても素敵な勉強代だったと今でも思っています。

「豊か」の定義は人それぞれで、脱サラやノマドワーカー、月収100万円などを「豊か」と結びつける人もいます。しかし会社を辞めることができても、収入を増やすことができても、心が磨かれていなければ本当の意味で「豊か」とは言えません。

怪我や病気、意図しない出費、盗難など、多くの人から見てマイナスと捉えられることにも「ありがとう」と思えるような心の在り方を鍛えていくことで「豊か」に近づくことができます。

「お金だけいっぱい稼げば豊かなんじゃないの?」「幸せになるためには心の在り方が大事なの?」と思われた方は、心について勉強してみると面白いですよ。こちらは漫画で読めるので、初心者さんにもぴったりです。

(→「マンガでわかる 100%幸せな1%の人々 小林 正観 (著)」)

それでは心を鍛えて素敵な1週間を送りましょう♡

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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