汚部屋から美部屋になった私の、捨てるコツとマインド解説。③

前回の続きから)

思いもよらない出来事が、今の自分を作っている。

世の中のほとんどの人は、

・どういう出来事(環境)がきっかけで

・自分がどういう性格になって

・何が不安や怒りをかきたてて

・その場合、解決策は何なのか

といったことが分かっていません。

心理学を専門に勉強している人とか、スピリチュアルカウンセラーさんとか、心や魂の専門家のレベルの人じゃないと、わからなくてむしろ普通だと思います。

前の記事で書いた「完璧主義」も、無意識なので、本人は気づいていません。

私は、昨年心理カウンセラーの初級の講座を受講しました。先生自身もカウンセラーとして活動されている方でした。普段から少人数の講座でしたが、その日は偶然、受講生が私一人だったので、余った時間で、私の話も少し聞いてくださいました。

私の母は、私を支配したがり、過干渉で過保護な人でした。最近は物騒な・巧妙な犯罪がニュースで取り上げられていますし、「特に女の子だから、何かあっては困る」というのもわからなくはないですが、周囲の家庭と比べて、異常でした。

母がどういう人で、どういう会話をしてきたのかなどを話すと、先生は急に「お母さん、流産したことない?」と口にしたのです。

私は「え…?何が?どういうこと?」と一瞬戸惑いました。

記憶をたどってみると、私が小学校2年生のとき、引っ越したばかりの家で、一緒にお風呂に入っているとき、「赤ちゃんが死ぬとね、黒いプリンみたいなドロッとしたものになるんだよ。」と教えてくれたことを思い出しました。

前後の会話は覚えていません。私は7歳で、膣や子宮という器官も知らないし、生理の仕組みも知らなかったので、急に「黒いプリン」だけ言われても、何がどこで発生して、どう変化するのかも、因果関係も、何も意味がわからず、終わりました。

「ふーん。黒いプリンって変な話。よくわかんないけど、まあいっか。」とその時は思ったのです。

だけど、今思い返してみれば、多分「あなたの上には、お兄ちゃんかお姉ちゃんがいたはずだったんだよ。」という意味だったのでしょう。

7歳の子に性教育は難しいですよね。「子宮って何?コウノトリじゃないの?」ってなっちゃいますし、「なんでなんで?」って言われて最後まで話すわけにもいかないし、伝えたい気もするけど、何をどこまでどうやって話していいのかわからない…と思った母なりの伝え方だったのでしょうか。

先生に言われて、「あの時の黒いプリンの話は、このことか!」と合点が行き、「流産したことがあるんだよ」「本当は、上に兄・姉がいたんだよ」と明確な言葉ではないものの、母は流産したことがあるのだと、私と先生はうなずきました。

先生が言うには、それによって、私を育てているときに、「この子も死んじゃったらどうしよう」と不安で不安でたまらないから、必要以上に過保護だったのだろうということでした。

徒歩で行けるコンビニもスーパーもピアノ教室も、全部車に乗せて運ばないと気が済まなくて、家から2番目に近い公園まではOKだったけど、3番目に近い公園は禁止でした。

あるとき、参観日かレクか何かで、「お母さん方に聞いたけど、○○ちゃんとか××ちゃんたちが、昨日遊んでたって。なんで、あんた誘われてないの?ちょっと聞いてみなさい。」と言われました。

友達に聞くと「だって、どうせ誘っても、△△公園に行くのは禁止されてるからって言って、遊べないじゃん。だから、誘わなかったの。」とのことでした。

寂しかったなぁ。私も同じ場所で一緒に遊びたかったなぁ。

それでも、私が小学校6年の終わりに引っ越す前には、(私が家から離れた場所には行けないので)友達のほうが私の家の近くまで来てくれて、鬼ごっこや、昔で言う缶蹴りと同じルールの遊びをしていました。

小学生の頃は、コミュ障というか、悪気はなかったけど、人への口調や態度がきつかったと思うんです。よく友達でいてくれたなぁ~と思う。友達にすごく恵まれてたし、すごく仲良くしてもらいました。いい思い出。脱線しちゃったけど。

ということで、うちの母の場合は、流産の経験から、異常な過保護になったという話でした。だけど、周囲も本人も、これを把握していません。

・流産した。もっと○○に気をつけていればと後悔した。→

・次に妊娠した後も、××はダメなんじゃないか、もっとこうした方がいいんじゃないか、と不安で仕方がない。→

・毎日毎日、不安で怖くて、イライラしてメソメソし、せっかく元気に娘が生まれてきても、イライラ・不安以外に何も感じられない性格になってしまった。→

・無意識に不安や後悔を避けることを優先するようになっているため、「鍵をかけたかどうか、何度も確認しないと気が済まない」、「まだ使えるかもと思うと、勇気が出なくて不用品を捨てられない」といった悩みを持つようになった。

そんな、一連の流れを把握していないのです。

母によると、私は幼少期、箸もすぐに持てたし、電車やバスでもおとなしくでき、レストランでも行儀よく食べることができ、トイレトレーニングもほとんど失敗したことがなく、おねしょもせず、よく眠る子で「この世に、こんなに育てやすい子がいるのか!?」というぐらい、育てやすい子だったそうです。

だけれども、こみ上げるイライラを抑えられなくて、怒鳴ったり叩いたりしていたと。でも、あんなに育てやすい子だったのに、一体何にイライラしていたのか、全く思い出せないのだそうです。

「あんなに育てやすくて、可愛かったのに…イライラしてないで、もっと可愛がってあげればよかった。」と後から思うようになったとのことでした。

コロナへの恐怖から、スーパーの店員さんにむやみやたらと罵声を浴びせたりする顧客みたいですね。本当は、スーパーやドラッグストアで働く方々にもご家族がいて、不安を抱えている中で、お店を開き、必要なものを手に入るようにしてくれているだけでもありがたいのにね。

正当な理由で怒るならまだわかるけど、悪いことをしているわけでもないのに、理不尽に怒鳴られるんです。

怒りの原動力になっているのは、(無意識の)「恐怖」です。

根拠は、あるつもりなんだろうけど、偽物。恐怖で怒り狂いたいだけだから、何年か経って冷静になってみたら、「何にイライラしていたのか、全く思い出せない。」ってなるんじゃないですかね。

今怒っている人も、いつか「営業してくれているだけ、ありがたかったなぁ。あの時はひどいこと言っちゃったなぁ。」と思う日が来るかもしれませんね。

(次回に続く)

Follow me!