なぜ勉強をしないといけないのか?④

前回の続きから)

物質的な豊かさに注意

「タワーマンションを買ったら幸せ」「ベンツを買ったら幸せ」「庭のある一軒家を買ったら幸せ」「学歴を手に入れたら幸せ」「~~な人と結婚したら幸せ」「年収○○円だったら幸せ」「貯金額が○○円になったら幸せ」…

特に物質的な豊かさに幸せを見出そうとしている人は要注意です。

知らぬが仏」で、気づかぬまま「よっしゃー!これぞ幸せ!」って、一生を終えられたらいいんですけどね。

今、機械や乗り物が発達して、忙しいようでいて妙に時間ができてしまったり、ネットが発達して、誰でも色んな情報を手に入れられるようになったり、医療が発達して寿命が延びたり…。

そうすると、ふとした瞬間に気づいちゃうんですよ。

「自分の人生これでよかったのかな」「あの時こうしておけば」「本当の幸せって何だろう」「今のままでいいのかな」「何のために今まで頑張ってきたんだろう」と。

急に焦りや不安、恐れがこみあげてきたり、隣の芝の青さに妬み嫉みがわいてきたり、「こんなことになったのは、きっとあの人のせいだ」と責任転嫁からの怒りが抑えられなくなったり…。

その瞬間が10代で訪れるのか、50代で訪れるのか、死ぬ間際に訪れるのか、死んでから訪れるのか、人それぞれだとは思いますが、どんな人も、「幸せ」について向き合う、勉強する必要があると私は思っています。

「幸せ」について向き合う必要性

「どちらか、無条件で好きな方を選んでいいですよ」と言われたら、どちらを選びますか?

①「幸せで豊かな人生」を送りたい、または、どちらかといえば送りたい

②送りたくない、または、どちらかといえば送りたくない

①ですよね?

では、「幸せで豊かな人生」について、人生で何時間ぐらい、勉強したことがありますか?

世の中の多くの人は、(少なくともどちらかと言えば)「幸せで豊かな人生」を送りたいと思っているにもかかわらず、

「幸せで豊かな人生」とは何で、

「幸せで豊かな人生」を送るためにはどうしたらいいか

を(ほぼ)全く考えたことがないのです。

その結果、一応水道をひねれば水が飲めて、犬も歩けばコンビニに当たり、餓死の心配もない、いつでも食料を手に入れられて、食品廃棄物は年間1700万トン、頭の上をミサイルがビュンビュン飛んでいるわけでもなく、「ホントは世界で一番豊かな国」と言われている日本で、

15歳~39歳の各年代の死因の第1位は「自殺」

なんてことになるのです。

(因果関係について、日本が豊かか否かについて、諸説あるとは思いますが。)

存在しない正解を掴みたい人々

私の家の例ばかりですみません。

って最初に書こうとしたのですが…私、コミックエッセイが大好きなんです。

プロのカウンセラーさんが書く本だったら、「Aさんのケース」「Bさんのケース」…たくさんの例と考察が書いてあるのも、魅力のひとつ。

だけど私は、個人のできごとや、それについて考えたことを伝えてくれるコミックエッセイや、ブログも好き。

他人のブログを読むのを趣味にしている人って、正解・不正解じゃなくて「『この人の場合は』、こうだったんだな。へぇ~。」ってなるのが面白いんじゃないかなと思うんです。

だから私の話も「申し訳ない」と思わずに、どんどん放出しよう!と思いました。

本題です。

人って、ひとつの時間軸でしか生きられません。

ひとつの人生しか経験できないのです。

何が正解だったかなんて、死ぬまで…いや…死んだ後も、ずっとわからないのです。

そもそも、正解なんて無いのです。

(「正解」についての記事も書いています。よかったらこちらもご覧ください→「ロバを売りにいく親子|人生に正解なんてない」)

無いのに掴もうとするから、焦ったり落ち込んだりするのです。

強いて言うと、人生に「正解」を存在させたい人は、自分で作るしかありません。

今でも覚えています。

中学校3年生の美術の時間。

先生が「絵を描いてもらうんだけど、みんな、受験勉強で疲れてるでしょ?美術の時間ぐらい気晴らししたくない?自由な絵を描こうよ。それがいいよね?」って言ったんです。

もともと美術の授業や、絵を描くことが好き・得意な子は「やったー!」となっている一方で、私は青ざめました。

幼稚園の頃から「ドリル」をやらされて、「教科書通りの正解を学び、インプットして、答えること」を徹底されてきた私。

「これをテーマに描きましょう。陰影のつけ方はこうです。色のつけ方はこうです。こういうふうにやらないでください。評価基準・達成目標は○○です。」って、仕事のマニュアルみたいなものがあった方が、何十倍も何百倍も楽でした。

楽か楽じゃないかというより、もうどうしたらいいかわかりませんでした。

こうして、「自由にやっていいよ」と言われて逆に困ってしまうのは、私だけではないようです。

「自由からの逃走」って、言葉だけでも聞いたことありませんか?

(私もまだ本を読んでいなくて、先ほど調べてみたら、自粛期間中に自己啓発に励む人が多いのか、製本、発注、仕入れ、発送…どこかの業者さんがストップしてしまっているのかわかりませんが、「入荷時期未定」と書いてありました。5/18現在。)

その中で出てくる話です。

昔、身分制度があった頃は、「農民は農民としか結婚できない」というように、同じ身分の者同士でしか結婚できない決まりがあったそうです。

意外にも、同じ身分の中であれば誰かを選んでいいわけなので、それなりに幸せだったのだとか。

ある時、身分制度が撤廃され「さあ、誰とでも結婚していいよ!どんな身分の人とでも結婚していいよ!」となりました。

するとどうでしょう。

一見良さそうな気がしますが、みんな自由が増えて、誰と結婚したらいいのかわからなくなってしまい、逆に「身分制度があった頃のほうが幸せだった…。」と思ったのでした。

自由って多分、人間にとっては不安だし怖いし、厄介。

太平洋の真ん中に、カヌーでポツンと置いていかれて、「さあ、好きなほうに進んでいいですよ!」って言われたって、「やったー!自由だ!」って思えないですよね。「本当に大丈夫かな、怖い…。」ってなりますよね。

だけど、ここを乗り越えれば、一気にビュンッと人生が加速します。

もちろん良い意味で。

この後の記事で書く、「主体的に生きる」にもつながってくるんですけど。

(文字数が多くなりすぎたので、続きは次の記事に書きます。

次回、「なぜこんまりさんは売れたのか?」)

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