②「わからない」という方法 橋本治を読んで|あなたは何様ですか?部長様?お客様?神様?

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前回に引き続き、こちらの本を読んで思ったことを書いていきます。

(前回の記事→「①「わからない」という方法 橋本治を読んで|正解も万能もない|結婚≠幸せ!?」)

あなたは何ができますか?|就職活動で問われていること

リストラに遭って再就職を求め、職安(ハローワーク)に行って、「あなたはなにができますか?」と問われた時、「前の会社では部長でした」などと答える人がよくいるという。

問われているのは、「あなたはなにができますか?」であって、「あなたはナニサマでしたか?」ではないのである。

(中略)過去のものは過去のものである。そこから「なにがしかのもの」が引き出されてこそ、過去は「経験」となる。

(中略)言うんだったら、「前の会社では部長でしたから、部下の統率はできます」くらいのことを言うべきであろう。それを言う知恵がなかったら、「部下の統率さえもできない部長」だったのである。

「わからない」という方法 橋本治 p.35 – 36

これ、意外とやっちゃいがちなんですよね。(^_^;)

就職活動で大事なことは「何をやったか」よりも…

よく聞くのは新卒の就職活動です。

面接で強みや性格を聞かれて「自分は部活動でキャプテンをやっていたので、リーダーシップがあります!」と答えてしまったりします。

キャプテンである(であった)こととリーダーシップがあることは必ずしもイコールではないでしょう。運動部だと身体能力が高い順にキャプテン・副キャプテンと顧問の先生から指名されることもありますしね。

他には「私は主婦だから料理が上手です!」というのも一見合っているようだけど、絶対に当てはまるとは限りません。主婦でも料理が苦手な人だっているし、独身でも上手な人は上手です。

重要なことは「何をやったか」「ナニサマであるか」ではなく、「やったことから自分は何を得たのか」を考えられる力があること、そしてその考えたことを筋道立てて説得力を持たせて相手に説明できる力があることです。

目上は偉い?|お互いに尊重してはダメですか?

私…「○○だから偉い」みたいのが大の苦手なんです。((+_+))

「親に向かってなんて口の利き方をするんだ!」とか「目上の人を敬え」とか。

親だろうが子だろうが、目上だろうが目下だろうが、人と人は尊重し合って生きていくべきだと思っています。

親は偉いから子を罵っていいわけではないし、目上だから目下を傷つけていいわけではありません。親が子を尊敬することがあったっていいし、目上が目下から学ぶことがあったっていいはずです。

もともとの「お客様は神様」の使い方を考えてみた

あと、気になるものといえば「お客様は神様」という言葉もありますよね。

私なりに考えてみたのですが、農耕民族として自給自足をしていた時代には、どんなに努力したって台風などの自然の力にはかなわないこともあったと思います。

それでも毎日地道に農作業をするしかないし、できることから試行錯誤していくしかない。頑張って思い通りになるときもあれば、尋常じゃないくらい頑張ったのに全然報われないときもあったでしょう。

決して一か八かの運任せだけではなく、運命をねじ曲げようとするのでもなく、「やれるだけのことはやる、でも最後はお天道様が決める、それをグチグチ言わずに潔く受け入れる」。

まさに「人事を尽くして天命を待つ」のニュアンスだったんじゃないかなと。

「お客様は神様」はもともと歌舞伎の世界の言葉らしいので、稽古を頑張って思い通りの評価を得られるときもあれば、頑張っているのに報われていないように感じるときもある、それでもまた明日から稽古を地道にこなしていくしかない…そんな使い方だったのではないでしょうか。

それがいつしか「接客のサービスを受けるときは、お金を払っている客側が偉いから、どんな傍若無人な言動をとってもチヤホヤされるべき」という勘違いに変わっていってしまったような気がします。

残念ですね…。

「目上を敬えって儒教の教えだったっけ?」と気になって検索してみたら、こんなブログを見つけました。(「目上を敬え」はどうやら朱子学の考え方のようです。)

(参考記事→「 塾講師わずの教育論 > 日本人の「儒教」の誤解”>ameblo > 塾講師わずの教育論 > 日本人の「儒教」の誤解」)

まとめ|あなたが何様であるかはどうでもいい

私は新型コロナウイルス感染症が流行する前から、「私の性格からすると、これからもずっと個人事業主だろうな~。会社が守ってくれるわけではないから、しっかりしないと」と思っていました。

だからこそ過去を過去のままにしておくのではなく 、「なにがしかのもの」を自分の頭を使って引き出し、過去を経験に変換できるスキルを磨いておく必要があると考えました。

難しいことなのでまだまだ磨き続けないといけませんが、新卒のときや1回目の転職をしたときよりも「もし次に就職活動で面接を受けたら、うまく答えられるようになっているだろう」という気持ちが徐々に育ってきて嬉しいです。

ところで私の昔の知人の話なんですが、起業家精神がすごい男性がいました。(とにかく何でもすぐにチャレンジし、会社をつくっては軌道に乗せて売り、つくっては売り…を繰り返す思い切りのよさと自信、行動力が特徴的な人でした。)

私とは180度逆のタイプなので、私が彼の戦略の真似をすることはないでしょうが、今でも起業家精神は尊敬しています。

私は違う記事でも書いているのですが、「教える仕事が向いている」と言われたことがあります。

新型コロナウイルス感染症が流行ったこともあり、直接お客様に触れなくてもできる仕事、リモート対応ができる仕事をできるようにしておくべきなのかな…と思いました。

そこで仕事でもプライベートでも精油を使っていたので、NARD JAPANという協会のアロマ・アドバイザーの資格を取ることにしました。(2021年3月に合格しました。)

楽しかったしプライベートには活かされていて、マイナスではなかったと思いますが、未だにアロマ・アドバイザーとしての仕事はしていません!(>_<)

本棚を見て当時のテキストが目に入るたび、「資格なんて無くて大丈夫、大丈夫!」「資格を取ったり、スクールに通っている時間がもったいないから、今からでも仕事とって挑戦したほうが成長できるよ!」と言い切る彼の顔を思い出すのでした。

何が言いたいかというと、アロマの知識やレシピを求めているお客様が世の中にいたとして、「私が NARD JAPANのアロマ・アドバイザーかどうか」はある意味どうでもいいんですよね。(「NARDの先生だから安心できる」という人もいないワケではないけれど。)

「私がナニサマであるか」よりも「私が何をするか」「私に何ができるか」のほうがよっぽど大事です。

こういうところ(結局やらないのに、「ナニサマ」かになりたがる)へのお金・時間の使う量を減らしたり、優先順位を下げるようにして、焦りや罪悪感を減らしていきたいな~と思っています。

逆に(自分なりに)よかった・頑張っているところは、もともと片づけ・断捨離・ミニマリストという分野に興味があったのですが、そちらに関しては□□アドバイザーや○○トレーナーみたいな資格は持っていないけど、電子書籍にまとめて世に出したいな~と思えるようになったところです。

「ナニサマである(になる)か」よりも、「私が何をやりたいか・何をするのか・何ができるのか」を優先できたからですね。

みなさんは、ついつい「ナニサマであるか」を優先して考えてしまうことはありますか?(^_^;)

文字数が多くなったのでここで切って、次回【③「わからない」という方法 橋本治を読んで】を書いてこの本の感想記事は終わりにします。

ここまで読んで下さり、ありがとうございます。(^_^)/~

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