①「わからない」という方法 橋本治を読んで|正解も万能もない|結婚≠幸せ!?

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こんにちは。

今年は本が増えすぎないように、「買って読んでアウトプットして売る」というサイクルを頑張っていきたいので、引き続き本について書いていきます。

出会いのきっかけ|疲れているときのゴミ屋敷動画

この本を知ったきっかけは意外なものでした。私は(特に精神的に疲れているとき)ゴミ屋敷片付けの動画を見たくなることがあります。

ゴミ屋敷片付けのYouTubeをやっていらっしゃる業者さんはいくつかありますが、「片付けトントン」という業者さんの動画を見ていたとき。

ふと概要欄を開くとブログもやっていらっしゃることがわかり、リンクをタップしてみました。そのブログの中でおそらく部長の森さんという方が『「わからない」という方法 橋本治』を紹介していらっしゃり(と私は記憶しています)、そこで知りました。

私がその時読んだブログの記事は発見できなかったのですが、また別の記事で橋本治さんの名前が出ていたので、多分橋本さんの書籍がお好きなのでしょうね。^-^

(参考→ 「人生を楽しむ秘訣」を橋本治センセに教えてもらっちゃった”>note > 「人生を楽しむ秘訣」を橋本治センセに教えてもらっちゃった

私はこの書籍の1章が1番好きでした。著者の人柄が出ていて、面白かったです。

今回もビビッと来た部分を紹介したいと思います。

「わからない」という方法 橋本治|二十世紀病

二十世紀は、「わかる」が当然の時代だった。自分はわからなくても、どこかに「正解」はある ― 人はそのように思っていた。

(中略)たとえばまた、大学を出て社会人になり、しばらくして壁にぶち当たることがある。その時に、「会社を辞めて大学に入り直そう」という決断をする人もいる。

(中略)この人が、「自分は正解から離れた。大学には正解がある。その正解に近づけば、もう一度成功を取り戻すことができる」と思い込んでいるのだとしたら、この人のあり方は、「どこかに自分の知らない正解はある」と思い込んでいる二十世紀病なのである。

「わからない」という方法 橋本治 p.19 – 20

「二十世紀病」、いいですね。

何でもかんでも、現象や病気などに名前をつけまくるのはどうか…という意見も確かになと思うところはあるけれども、こうして何かぼんやりした概念に名前がつくと、議論や考察の余地が生まれると私は思います。

それが後々、世の中に新しい価値を生み出したりだとか、文化や教養の発展につながっていく気がします。

さて、この二十世紀病には、私も私の両親も見事にやられていました。(苦笑)

まず私の両親は高卒なのですが、「高卒だったから今不幸だ→大学に行くことが正解だったのに、自分たちはその正解を掴まなかった→子どもたちを有名大学に行かせれば、人生はバラ色に違いない!」という思い込みが激しかったのです。

当時はなぜそんなに躍起になっているのかわかりませんでしたが、今となっては二十世紀病をこじらせていたと言えそうですね。

私はというと、就職活動や就職後の生活で悩むことが多々ありました。就職や転職など、仕事選びの際には「向いていることをやりましょう」という空気を強く感じます。

私が最初に入ったのはIT業界。学生時代に数学が好きで、論理的に考えることやデータとにらめっこするのが好きで、さらに1人で黙々と作業するのが好きなタイプなので、プログラマーなら向いているのではないかと考えたのです。

ありがたいことに未経験で採用していただけて、すぐに仕事も振ってもらえました。

やはり専門学校や大学でプログラミングを専攻してきた人とはスタート地点が違います。先輩社員、上司、社長は「よく頑張ってくれているよ。ゆっくり成長してくれればいいから」と温かく見守ってくれていました。

でも私自身が「壁にぶち当たっている感」をたくさん感じ、「私には向いていない!存在していても迷惑をかけるだけだから、辞めて違うところに行くしかない!」と精神を病んでいました。

当時の私はまさに二十世紀病で「どこかに自分に向いている仕事があって、まだ自分はその正解にたどり着けていない」と、ジョブホッパーになってしまっていたのです。

結婚=幸せ、子育て=幸せは間違い!?意外な落とし穴

ところで、これを機に仕事以外にも、結婚や子育てに万能性を求める危険性についても触れておきたいと思います。

「今、『最高に幸せ』だと思っていない」人は「じゃあ、あとは結婚をすれば自分の人生は幸せに到達できるんだ!」とか「今は夫婦関係でうまくいかないこともあるけれど、きっと子どもが生まれたらパートナーだって変わってくれるはずだし、これで幸せ間違いなし!」と思ってしまうことがあるようです。

物事をポジティブに見るのはいいことですが、それによって自分の期待する結果が得られなかったときにキレたり八つ当たりするのでは、お門違いもいいところ…となってしまいます。

結婚式や妊娠がわかった日(誰かに伝えた日)、子どもが生まれた日などの特別な日は、たくさんの人がおめでとうと言ってくれて「なんて幸せなんだろう」という気分を味わうことができると思います。

そういう場面をテレビ番組や雑誌などで取り上げるから、「これさえやれば幸せ100%」みたいなイメージを持たれてしまうのかもしれません。

でも巷でよく言われるように、結婚はゴールではなくスタートなんです。 「結婚さえしてしまえば、子どもさえ産んでしまえば、もう幸せが確約されるに違いない!」というわけではありません。

家族で家庭を運営していくというのは、簡単なこともあれば難しいこともあり、楽なこともあれば大変なこともあり、癒されることもあれば疲れることもあり、助かることもあれば不便なこともあり、楽しいこともあれば面倒くさいこともあり…要は普通の山あり谷ありの道なんです。

世間では「子ども=幸せ」というイメージが持たれていると私は感じますが、私の母は「子どもを産めば幸せが手に入るから頑張ろう」と思っていたようです。

でも、子どもって泣くし騒ぐし、思い通りにならないし、家を汚したり傷つけたりするし、お友達と問題を起こしてきたかと思えば学力的な問題が生じ、習字セットだ・模試だ・修学旅行だ・制服だ何だとお金が飛ぶように出ていきます。

そんな現状にぶつかった母は、「子どもを産んだら幸せになれると思ったのに。どうして子どもを産んだのに私の人生は幸せじゃないんだろう」とノイローゼになってしまいました。

このエピソードをもとに伝えたいことは、「結婚(出産)は幸せなことだけを大量に運んできてくれる」という万能薬のようなものはこの世にはないということです。

それを万能なものだと勘違いしていると、例えば夫婦関係がうまくいかなくなったときに「結婚をしたのに今幸せっぽさがないってことは、これじゃダメなんだ!もっと若くて綺麗な女を恋人にするしか、幸せを得る解決策はない!」というような感じで浮気に走っちゃったりします…。

そして離婚して次のパートナーと結婚しなおしたとして…でも結婚は万能薬ではないから、多少の不満や問題が家庭内で発生するのは当たり前のことなんですよね。そうしたら「なんか居心地が悪いぞ!もっといい女を恋人にしないと、幸せは手に入らない!」みたいな感じでまた浮気します。

私もよくわからない焦りでジョブホッパーやセミナー難民をやってしまっていました…。

今の仕事も気に入っているし、当たりのセミナーにも出会えたから後悔はしていないのですが、「そんなに焦らなくていいよ」と当時の自分に伝えたいですね。(笑)

結論:世の中に万能なものはない、どこにも正解はない

だいぶ前の記事でも書いているのですが、人生において「絶対解」とか「万能薬」みたいなものは、ほとんどない・出会えたらラッキーぐらいに思っておいたほうが、生きるのが楽になると思います。

(関連記事→「ロバを売りにいく親子|人生に正解なんてない|主体性を持つことが幸せへの第一歩」)

二十世紀病をこじらせないように気をつけていきたいですね。(笑)

文字数が多くなったので、ここで前半終了とします。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。(^_^)/~

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