「洋服の断捨離 やましたひでこ」を読んで|着ていない洋服を手放せる2つの考え方

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こんにちは。

今回は片づけの話ですね。

視覚的ノイズに耐えきれず、服・タオル・紙を減らした

今年の冬から、断捨離・片付けというワードで表されるようなものにハマっていました。

理由はおそらく…現在学生なのですが、「自分が持ちたくて持っているもの」の他に「学校で使うし、かつ好きなもの(もともと興味があった科目の教科書や道具)」と「学校で使うから取っておいているけど、好きじゃないから卒業したらおそらく使わないもの」などが増えていったからだと思われます。

特に大量の教科書と、タオルや白衣などの布ものがかさばって大変なことになっています。

ズボラなさすがの私も、視覚的ノイズに耐えきれませんでした。

具体的にやってみたことは…

  1. 「国家試験に出ないけどカリキュラムには含まれている」という重要度の低い過去の授業のプリント、「普段は見返さないけど捨てるのは気が引ける」会社の研修のテキストなどをAdobe Scanで読み込んでPDFにし、紙は捨ててiPhone内に保存するようにしたり、
  2. 何かの講座のテキストを要約して自分でノートにまとめ、もともとの紙のテキストを捨てたりしました(PDFはあるので、また印刷し直そうと思えばできる)。
  3. 布類に関しては、まだ服として着られそうなものはリサイクルショップへ。ヨレや黄ばみが強い服や、洗っても臭いのするタオルはウエスにして台所の掃除などに使う等々しています。
  4. そしてお風呂に入っている時など、ミニマリストさんのYouTubeを見てモチベを上げています。

(こんな風に「ノートに書いてまでも残したい」って思えるものって、少ししかありません。言い方を変えると、「まあいっか」と軽い気持ちで手に入れたものが多いということです。

今後は「読書ノートをつける労力が惜しくないと思えるぐらい、良い(好きな)講座やテキストにだけお金を払う」という基準で選んでみようと思います。)

ミニマリストほど極端に捨てなくても…|断捨離について読んでみた

そんな中、「ミニマリストほど極端に捨てなくてもいいんだよなぁ。ミニマリストと断捨離ってどう違うんだっけ?」と思っていました。

LINEのアプリを開いて何かの記事を読んでいるときに「洋服の断捨離」の広告が表示され「私、本が好きなはずなのに、やましたひでこさんの本は1回も読んだことがないな~」と読んでみることにしました。

(私は本が増えがちなので、「買ってアウトプットして売る」というサイクルを今年は試してみようと思います。)

私がビビッと来た部分を紹介させていただきますね。

洋服とは気である、洋服には旬がある、という考え方があります。私が無難さから離れて「いま、着たい服」というその気分により素直になっていったことで、明らかにその回転が早くなっていきました。

(中略)それにしてもペースが早くなっていることに疑問を感じて、私淑している合気道家で気の専門家の先生に尋ねたら、こんな過激な答えが返ってきました。

「ナプキンだから」と。洋服はナプキンみたいなものだと。生理用のナプキンです。

(中略)こうして断捨離と雄叫んでいると、当然ながら誰も彼も支持してくれるわけではありません。批判もいっぱい飛んできます。

(中略)洋服というのは、健気にそうした邪気を吸ってくれている、そういう役割もあるのだと改めて知りました。

洋服の断捨離 新しい自分になり、人生を飛躍させるとっておきの秘訣 やましたひでこ p.47 – 49

本題とは関係ありませんが、私が芸能人、著名人などを見ていて「すごいな」と思うのは、そのメンタル。

「数打ちゃ当たる」というだけで、ビジネスは成り立つものではありませんが、やはり知名度が上がれば上がるほど、多くの人に影響を及ぼしやすくなります。

一方で狭い世界だけで生きていた時よりも、「反対意見」や「自分と違う価値観の人」に出会うことが多くなります。

それを乗り越えてまでも、情報を発信していきたいと思えるその心持ちが「すごいな」といつも思うのです。

考え方①洋服は邪気を吸ってくれるナプキン

さて本題に戻りますが「洋服はナプキン」っていいですね。

私たちは普段せんべいや缶詰のように賞味期限の長いものから、もやしや刺身のように消費期限の短いものまで器用に使いこなして生活しています。

1年中採れる食材もあれば、まさに旬の1か月程度しか手に入らないようなものもあります。

それと同様に、洋服だって「ちょっとしか楽しまなかったもの」もあれば「信じられないぐらい長い年数着ている」ものもあっていいはずです。

でも私たちはついつい「全ての洋服を、機能的に着られなくなるまで長い間、たくさんの回数着用しなければならない」と思い込んでしまいます。

ナプキンだと思えば、そんな罪悪感も手放せそうですね。

「ヨレや破れはないけれど、実は邪気を吸うという役割を果たしてくれた」から、お役目終了なのかもしれません。

何なら、押入れの邪気を吸ってくれたのかもしれません…。(笑)

違う記事でも書いたと思うのですが、私は「捨てれば捨てるほどえらい」みたいに思っているわけではないので、大切に着られるのなら着ればいいと思います。

ただ、「現在着ていないし、着る目処も全く立たず、今後着る気持ちすら起こらず、罪悪感のみでクローゼットを圧迫している」のであれば、手放したほうがいいのではないでしょうか。

私はリサイクルショップを利用しますが、まだ使えるものを誰かが使ってくれるのであれば嬉しいです。

私は霊感が無いので邪気がどうなのかはわかりませんが、感受性の高い人と低い人がいるので、低い人はそういう気の影響を受けづらいから、AさんにはダメでもBさんは着られるかもしれません。

旬も同様に、ある人にとっての旬は過ぎたけど、違う人の旬には当てはまる可能性もありますね。

考え方②片づけに行き詰まったら、自分軸から離れてみよう

どこで読んだか忘れましたが、好きな話があります。(細かい箇所はうろ覚え。)

ある夜、ある男が1文を川に落としました。その男は3文で提灯を買って、その明かりで落とした1文を探していました。通りかかった人が、「提灯を買うのに3文を失うぐらいなら、落とした1文を諦めたほうがマシだ。バカじゃないのか?」と声をかけました。

そうしたら男は「提灯を買った3文は誰かの手から誰かの手に渡り、天下を回ることができる。でも川底に落としっぱなしになった1文は天下を回ることができない。天下の全体のお金が減るのは良くないから、自分が3文を失っても1文を拾えてよかった」と言いました。

アドラーの「嫌われる勇気」がヒットして以来、「自分軸が大事ですよ~」っていう風潮になりました。

私も2冊目の電子書籍で自分軸を大事にできるようにと、いくつかのハウツーを盛り込みました。

今でも自分軸は大事だと思うけれど、壁にぶち当たったとき、迷って決められないときなどは「この服は私のクローゼットに眠らせておくのと、世の中に出して着こなせる人に着てもらうのと、どちらが役目をまっとうできるだろう?」「着もしないのに私が持ち続けるのと、発展途上国に寄付するのでは、どちらが世の中の役に立つだろう?」などと、自分じゃないところに軸を置いてみると、状況が打破できるかもしれません。

やましたひでこさんも、「自分が使いたいかどうか」などと自分軸で決める場面と「この空間にとって適切量かどうか」などと空間軸、すなわち自分以外のものを軸に定める場面を分けていて「いいなぁ、私もやってみよう」と思いました。

(ちなみにこの「どちらが」という言い回しにもコツが含まれていまして、人間の脳って「思考する」のにエネルギーを使います。だから洋服や朝食のメニューを固定化する人もいますよね。

すなわち「この洋服についてどう思う?」と聞いてしまうと、無限に考えることができてしまいます。脳が疲れて考えがまとまらなくて、結局着ないのに何となく捨てられない服が溜まっていってしまいます。

なので「AとBならどっちがいい?」という感じで2択や3択ぐらいに絞ってあげると、片づけが進みやすいです。

これはビジネスの場でも活用されていて、例えば「どうしたいですか?」よりも「松・竹・梅」とコースを用意して選んでもらう方が、顧客の行動を促進できるとされています。)

きっとこの記事を読んで下さっているのは、「着ていない洋服があって、今後も着る予定がなくて、断捨離の考え方はいいと思っているけど、何となく捨てられない」という方だと思います。

「ナプキン、邪気、旬、軸、2択」というキーワードを意識してみると、停滞した片づけが進むかもしれません。

この記事を役立てていただけたら嬉しいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます。(^_^)/~

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