②アスペルガー旦那の性格が変わった!?|特徴と上手な向き合い方|止まない雨はない|

スポンサーリンク

こんにちは。

今回は旦那の話をメインに書いていきます。(私や親の話もちょっと出てきます。)

(前回の記事はこちら→「①アスペルガー症候群とは|うまく付き合うには【個人】を理解する|私の父の特徴」)

natsuの旦那の特徴リスト
  • カクテルパーティー効果が効かない
  • 感覚鈍麻
  • 神経質・感覚過敏
  • メイクを見抜く
  • 同時に複数のことをできない、中断が嫌い
  • 頼まれてないからできない
  • TPOに応じた言動ができない
  • 自分が唯一絶対の正解である
  • ルールを気にしすぎる

ざっと挙げるとこのような特徴があります。詳しく説明していきましょう。

カクテルパーティー効果が効かない

カクテルパーティー効果とは、たくさんの人がそれぞれに雑談しているなかでも自分に必要な事柄だけを選択して聞き取ったり、見たりする脳の働きのことです。パーティーのざわざわとした騒音の中でも、目の前の会話相手の声を判別できることからこの名前がついたと言われています。

そう、普通の大人の脳は「取捨選択」をします。平等に受け取っているようでいて、ある意味色眼鏡を使いながらたくさんの刺激を受け取るのです。しかしうちの旦那にはそれがありません。目の前にいる人の話が一番大事だと思っていても、少し離れたところから聞こえる工事現場の音が大きければ、それしか聞こえなくなってしまうそうです。不便で本人も困っているようですが、静かな場所に移動するしかありません。

(参考記事→FORZASTYLE【応用法まで徹底解説】カクテルパーティー効果って⁇

   未来予創 聞きたくない音が聞こえたり、聴かないといけない音が聞こえない

感覚鈍麻

「俺は疲れない」「肩が凝らない」と豪語しているのですが、セラピストの仕事をしている私が筋肉を触ると確かにコリがありますし、ツボを押すと「アタタタタタ!」と言っています。つまり疲れないのではなく、疲れを感じ取る感覚が鈍いのです。

これに関して本人は特に困っていないようですが、人によってはこういう特性を持っていると急にぶっ倒れることもあって危ないので、それは周囲が気づいてフォローしてあげると良いのかなと思います。

ちなみに私の場合、幼い頃に痛みを感じにくかったため興味本位で仏壇のロウソクの火を触ってやけどをしたり、カッターで指を深く切ってしまうことなどがありました。他には運動中に転んで「ちょっとひねっただけ」とピンピンしていたら、念のため病院に行ったところ足の靭帯が断裂していたり、唐辛子を使った激辛料理を辛くない料理と同じように平然と食べていたりします。これは「感覚鈍麻」と言えそうですね…。

神経質・感覚過敏

例えば部屋の梁などが気になって仕方がないようで、今住んでいる家も内装重視で選びました。「普通はそこまで気にする必要がないでしょう?」と思うようなところでも気になるようです。本の「誤字」を見つけるのも人間とは思えないほど上手です。

他には音にも敏感で、今はマンションの上の階の生活音で全く寝付けなくなってしまうほどです。高校の頃の同級生の方が教えてくれましたが、お泊り会をしても「寝ているところを見たことがない」とのこと。ほんの少しの雑音でも寝付けなくなってしまうようです。

ちなみに私は化学調味料の味がわかったり、人工香料のにおいをかぎ分けたり、セラピストとして他人の体に触ったときに肌質や体質、体調や職業がわかったりします。長年セラピストをやっている人であれば、アスペルガーの気がなくともわかるかもしれませんが、神経質な感覚を持っていると言えるかもしれません。

メイクを見抜く

普通の人、特に男性はメイクや髪型、服の素材やシルエットで女性を判断するところがありますよね。ところがうちの旦那の場合はごまかしがきかず、忠実に骨格や顔の作り、パーツの大きさや肌のハリなどを見ることができます。年齢当ても得意なようです。芸能人の画像などを見ていて「うーん、この子はメイクは上手だけど本当はあまり可愛くないと思う。」とか言います。辛辣。(-_-;)

うちの旦那は、女性用の服や化粧品を見るのも好きでよく買い物についてくるので、こういう特技(?)がありますが、同じアスペルガーの男性だったとしても、女性や女性の身につけるものに興味がない人の場合、多分できないはずです。「興味のあるものなら頑張れる・伸ばせる」、それは比較的多くのアスペさんに共通する特徴かと思います。

同時に複数のことをできない、中断が嫌い

うちの旦那の場合、作業を中断しなければならないのが苦手なようです。例えば洗濯機で洗濯をすると、うちは標準で45分くらいです。その後乾燥機にかけると3時間ほどかかります。そして外に干してある洗濯物と乾燥機で乾かされた洗濯物を部屋に持ってきて、たたむのに30分かかるとしましょう。

普通であれば洗濯機を回している間に夕飯の支度をしたり、乾燥機が終わっても次の日にたたんだっていいのだし、何も洗濯だけに集中する必要はありません。だけど旦那の場合は「洗濯物を分けて洗濯機に入れてから全ての洗濯物をたたみ終わるまで」の4時間15分ほど、他のことが全くできなくなってしまうのです。

例えば19時に帰宅して21時から15分間電話がかかってくる予定があったとしましょう。普通だったら夕飯や電話の都合と洗濯機の進み具合を見て、適当に干して適当に乾燥機を回しておけばいいだけなのですが…彼の場合は「完璧に何の予定も入っていない4時間15分を確保できなければ洗濯ができない」という捉え方になっているらしいのです。

最初は「漫画を読んだりゲームをする時間はあるのに、洗濯をする時間がないからできないだなんて、喧嘩を売るにしても私をバカにしすぎじゃない?」と思っていたのですが、漫画やゲームは章などの区切りがわかりやすく、短時間ずつでも始めたりやめたりを繰り返すことができるようです。

この問題は多分、教えて訓練して慣れていけば解決できると思うのですが、苦痛に耐えてまで嫌々苦手なことを克服しなくたって他のことを頑張ってもらえればいいやということで、洗濯は私が担当することにしました。

「やらなくても済むことを徹底的にやらないようにする」というのもアスペルガーとの付き合い方のコツのひとつかもしれませんね。

頼まれてないからできない

アスペルガーじゃない人でもこういう人は意外と多いですよね。「言われてないからできるはずがない」というのが常套句でした。「どうせ変わらないだろう」と思いつつも、私は恩を売るように(笑)たくさん親切と優しさと温かさを与えてきたつもりです。

そうすると「元気ないの?」「寒い?」「大丈夫?」「エアコンつける?」「これ食べる?」「毛布出す?」など、アスペルガーとは思えないほどに私という人間を気遣う言動を見せるようになりました。

最初は私も驚いて、「え、私、今、『大丈夫?って言って』って指示を出さなかったのに、どうして自分から言えたの?私の顔色が悪いことがわかったの?喋ってないのにわかったの?」「『具体的に頼まれたこと以外はできない』って自分で言ってたのに、顔色とか機嫌とかを読み取れるようになったの?私は頼んでないのに自分からそう言おうと思ったの?」などと質問攻めにしました。

旦那いわく、私のことはずっと一緒にいるからわかるようになってきて、会社の同僚や友達などに対しては相変わらず空気も読めないし顔色も読めないそうです。つまり「アスペルガーはコミュニケーションを取ることが苦手」なんて言われているけど、普通の人だって苦手なことでも訓練を積めばちょっとぐらいは上達するじゃないですか。それと同様に、スタートラインがみんなより遅れていたり、上達のスピードが遅かったりはするけど、やろうと思えばできるようになることもあるんです。だって「苦手」なだけで「不可能」とは言っていませんからね。

ただ、最も大事なことは「本人にそのやる気があるか」というところです。ちなみに前回の記事に出てきたうちの父親は、スポーツに非常に熱心に打ち込んでいる人でした。休日もゴルフやら走り込みやらで家にいないので「家族を愛していないのではないか」と母は心を傷めてしまったわけですが、「家族を愛しているかどうか」と「休日に家族と過ごす時間が長いかどうか」は父にとっては関係ないみたいですね。

だから、うちの父の場合は(少なくとも私が実家にいた頃は)コミュニケーション力が上がることはありませんでした。「ちゃんと仕事に行って、家にお金を入れること」が父にとっての愛の形だったんです。愛はもうそこで提供した気になっているから、「どうして私たちを愛してくれないの!?大事じゃないの!?」って母が嘆いたとしても「ぽかーん」という感じだったのでしょう。

多分愛しているには愛しているのですが、「愛をどうやって示してほしいか」が父と母では異なったのでしょう。男女ではそういうことがよくありますよね。そこがすれ違っていることに気づいていない・理解できないか、説明されたとしても「こんなに愛しているんだから大丈夫、何も心配いらないよ」と独りよがりに頭の中で解決してしまうため、話は平行線で永遠に解決することはありません。

しかしなぜ旦那の場合は、コミュニケーション力を急成長させることができたかというと、「私に興味があったから」です。アスペルガーの人には頭の良い人も多いので「知る→わかる→できる」という習得のプロセスも、やる気さえあれば何なら普通の人よりうまくできると思うのです。けれども、やる気やモチベーションを見出せないものは、どんなに能力の高い分野のことでもできない・やれないんです。

私は変人・不思議ちゃんの類なので、私と出会い付き合った旦那は「なんだ!この人めっちゃ面白い!今までこんな人と出会ったことはなかった!もっと知りたい・関わりたい!」と思ったそうなのです。

旦那は今までも「変だ」「コミュニケーション力を身につけなさい」「もっとちゃんとしなさい」なんて言われてきたことがあったそうです。だけど「よ~し、コミュニケーション力を上げるぞ~!」と思えるような動機が特になかったため、「何か言われてるな」という程度で心に刺さらなかったとのこと。

しかし私と出会ったことにより「コミュニケーション力を上げなければ、この人と関わることができない!そばにいられない!」と内側から炎がメラメラと燃え上がってきたことにより、私も驚くほどの急なコミュニケーションの上達を見せました。だから、周りがとやかく言って火をつけることはできないけど、本人がピンと来たことだったら目覚ましい成長を見せてくれるのが面白いところです。

TPOや感情に合わせた言動ができない

先にも書いたように、まず自分の感情を理解していません。「あ~嬉しいなぁ~」とか「ちょっとイライラしちゃったな」とか、それがわかっていませんので、「嬉しいときにはこういう表情をする」「怒っているときにはこういう表情をする」みたいな使い分けもできません。だから怒っていないのに怒っているような表情をしていたりします。

アスペルガーの人のパートナーさんは、繊細で真面目な人も少なくないと思います。私も以前は察しすぎるタイプだったので必要以上に自分の責任を感じ、「私の何がいけなかったんだろう?」「彼の機嫌が悪いのは私が何か気に障ることをしちゃったからだ」と思っていました。

しかし、アスペルガーの人はそういう理由で怒った表情をしているわけではないので、「私の何がいけなかったんだろう?」と考えても正解は存在しません。だけど、アスペルガーの特性を理解していなければ、普通の人に接するのと同様にそうやって考えてしまうので、無い正解をつかもうとして鬱状態になっていったりします。

カウンセラーさんいわく、アスペルガーの人が不機嫌になったとしても「あ~また何か考えてるんだな~」で放置しておくのが得策だそうです。

感情と表に出てくる言動が合っていない例は、私と旦那が2人でカウンセリングに行ったときのこと。旦那がカウンセラーさんに、彼の家族が怪我をしたときの話をする場面がありました。怪我の話なので、普通は落ち込んだような表情や困ったような表情、暗い表情で話す場面です。

けれどもシーンとした部屋で初対面のカウンセラーさん相手に、自分が主役になって話をする場面で緊張して困ってしまったのでしょう。うちの旦那の場合は困ると笑う癖があります。なので、家族の怪我の話をヘラヘラと明るく笑顔で発表してくれました。

私はその頃ネットや本でアスペルガーについての知識を得ようと頭でっかちに頑張っていた時期だから、そういう特性があることは理解していましたし、相手はカウンセラーさんなので問題ありません。

でも会社や冠婚葬祭などの社会性を持った大人の振舞いが求められる場面で、TPOに応じた言動ができなければ問題が出てきてしまいます。例えば妻・夫・子どもという家族構成で、子どもが大きな怪我をして病院に運ばれたとしましょう。そういう場面でも、慣れない病院で初めての怪我で…となると困って笑ってしまったりするんじゃないでしょうか。

お医者さんと会話する場面でも満面の笑みになってしまうかもしれませんね。そうすると妻は「子どもが辛い思いをしてるっていうのに、あなたって人は何なの!前々から思っていたけど、もう今度こそ信用できない!」なんて離婚問題にも発展する可能性があります。

プロのカウンセラーではない人に「なんだか夫とコミュニケーションが取れなくて…」なんてうっかり言ってしまうと「コミュニケーション?しっかり会社行ってお仕事できてるんでしょう?問題ないよ!気にしすぎだよ!」なんて返されてしまい、アスペルガーの人のパートナーはどんどん悩んで鬱っぽくなっていき、カサンドラ症候群に苦しむことになります。相談するなら信頼できるプロにしたほうがいいですね。

感情と言動が合っていない例をもうひとつ。私は人から「冷静」と言われることが多く、確かに頭でっかちで感情に翻弄されることなく、落ち着いて言動を選んでいる面があると思います。「ついカッとなって」みたいなものはないので、逆に人間らしさがなくて気持ち悪いと母には怒られましたが。

そんな私なので、旦那の変わった言動にも「何よ!ひどい!もう知らない!」とビンタをしたり家を飛び出すことはなく、「これはアスペルガーの特徴であり、本人に悪気があるわけではないから、こういう風に教えてあげよう」と冷静なことがほとんどです。

しかしそんな私もさすがに声を上げて泣いた出来事がありました。

私が転職直後で外部研修を受けていたときのこと。研修開始時刻よりも少し早く教室が解放されているので、朝は30分ほど早く行って予習復習をすることもできます。私はある日の夜、「明日は少し早く行って勉強しようかな~。今日のところ難しかったな~。」とつぶやきました。

でもそれは「早起きできたらできたで勉強しに行ってもいいし、起きられなかったら定時に行けばいいか。」という軽い気持ちでした。翌朝、結局私はいつもと同じ時間に起きて、私と旦那の弁当を作って定時で出勤することにしました。

弁当が完成した瞬間だったと思います。「優先順位を考えろ!!」と物凄い剣幕で怒鳴られたのです。旦那は外食よりも手作りが好きなタイプで、節約にもなるので私はできる限り弁当を作っていました。

この日も「早く行けたら行けたでいいし、行けなかったら定時でいいや。」という軽い気持ちだったので、弁当を作ることを優先したのです。そうすると旦那には「早く行かなければいけない重大な用事があったのに、無理をして自己犠牲を強いて、旦那に親切にするために弁当を作ってしまった。」というように見えたそうです。

それを旦那は「いいよいいよ、無理しないで♡俺に気を遣わずに、大事なことだったら自分の用事を優先したっていいんだからね♡」という優しい言葉をかけたかったそうなのですが、その伝え方がわからずにパニックになってしまったみたいで、まるで私が人殺しでもしたかのように、「優先順位を考えろ!!」と怖い顔で怒鳴ってしまったのでした。

その瞬間、私は表情と声の怖さと「どうしてあんたの為に弁当作ったのに怒られなきゃならないわけ!?ふざけんな!」という怒りで泣き出してしまいました。「アスペルガーだからこんな特性があるんだ」と頭で理解したつもりでも、体がついていかない出来事でした。

他にもちょこちょこと「頭で理解したつもりでも、体がついていかない出来事」はありましたが、これが一番私が動揺して感情をあらわにした出来事です。(笑)

自分が唯一絶対の正解である

面白いくらいに昔はそうでしたね。「100人いたら100通りの価値観がある」、今の時代はそうやって生きていくのがいいのではないかと言われている時代です。

でも昔の旦那の場合は自分の考えこそが正解で、私や他人が違う価値観を持っていると「頭が悪く、理解力が足りないから今は理解できていないけど、説明を繰り返したり、理解力を上げていけばいずれはこの考えが理解できるはず」と、持論を決して曲げませんでした。

これはうちの両親も同じ特徴を持っていましたが、アスペルガーの人にとって「話合い」というのは「相手を屈服させ、自分の意見に納得させること」を意味しています。

AさんはA案を、BさんはB案を持っていた場合、「話合い」というのはA案になる場合もあればB案になる場合もあり、2人で違うC案・D案を0から生み出したっていいし、いったん白紙にしたり、保留にしたり、色々な結果が想定されます。

しかしアスペルガーの人にとっては「A案で決定すること」だけが正解であるのです。私と夫は家族なので、何らかの意思決定をするときに家族としてのまとまった意見を出さなければなりませんが、いくら夫婦といえども異なる価値観を持っている場面もあります。

「どんなに仲が良くなろうとも、どんなに私の頭を良くしようとも、どんなに説明を重ねようとも、夫婦が全く同じ価値観を持つことはできない」ということを最近理解し、落ち着いて考えられるようになってきたみたいです。

うちの旦那の場合は本を読むのが苦じゃないタイプなので、脳機能学者の苫米地英人さんの本を読むことなどによって、「人には固有の価値観がある」と考えを改めることができました。

また「自分が正しい」関連で言うと、「木を見て森を見ず」といった感じで特定の事柄にこだわって、全体的な意味や本質を理解していないということが起こります。例えばこれはうちの母の場合ですが、私がふりかけがないときにご飯に塩をかけて食べようとすると「塩分の摂りすぎになるから駄目」と止めてくるのですが、そういう自分はインスタントラーメンとご飯でラーメンライスを食べていたり、焼き鮭にたっぷりと醬油をかけていたりします。

「塩分過多であることが駄目」なのであれば、インスタントラーメンも塩分が多いので控えたほうがいいですし、焼き魚にかける醤油も少なめにした方がいいのではないでしょうか。あとは列に横入りされて「ズルは許せない」と言っているにも関わらず、他人のお菓子を勝手に横取りして「ちょっと、やめてよ~」なんて言うと「いいじゃん、ケチ」なんて言ったりします。「ズルは許されるべき行為ではない」とするならば、最初に平等に分けたはずのお菓子を後から横取りするのは許されません。

こんな感じではたから見れば筋が通っておらず、本質をはき違えているのですが、本人はいたって真面目に自分が正しいことを主張していると思い込んでいます。物事を低い視点から見たり高い視点から見たり、自分の立場で考えてみたり相手の立場に立って考えてみたり…そういう脳の切り替えが苦手なようですね。

旦那の場合は「ズルが駄目ということが結論ならば、今あなたがやったそれもズルに値するけど、本当にズルが駄目という結論でいいの?矛盾していることになるよ。」なんて、言動を逐一説明していったことにより、「あぁそうか。」と次第に納得していったようです。

ルールを気にしすぎる

顕著なのは、歩道ってその名の通り歩行者のための道ですよね。本来自転車も「車」なので車道を走るべきだと法律で定められています。でも自動車の運転免許証を持っていない方や子どもは、歩道を走っていることもありますよね。

私は「ルール」が何のためにあるかと言えば「円滑に社会生活を送るため」であると思っているので、歩道に自転車が来てもよけてあげればいいと思うんですよね。自転車に道を譲っても、お金を取られるわけでもなく命を取られるわけでもないのだから、別にいいじゃんと思うのです。

だけど旦那の場合は「自転車は本来車道を走るべきで、歩行者である自分が道を譲る義務はない!」と頑なに道を譲りません。それはもう滑稽なぐらい頑固に、絶対に譲りません。しょうがないので私が一緒のときは、私が旦那と縦一列になる形で自転車を通してあげています。

でも「歩行者が道を譲る義務はないのに!」とグチグチネチネチとうるさいので、「免許持ってない人は知らないんだよね~。義務教育で自転車は車道を走るルールがあるって教えればいいのにね~。」なんて話をそらしながら、違う話題に変えていきます。真っ向からぶつかっても面倒くさいだけですから。(笑)

こんな感じでアスペルガーの特徴を無視したり気にしないようにするのも、付き合い方の一つかもしれませんね。

最後に

このブログを読んで下さった読者の方が「そうか、苫米地さんの本を読ませれば、うちのパートナーも変わるかもしれない!」と無理矢理読ませようとしても、興味やモチベーションが湧けば読んでくれるかもしれないし、読んでくれないかもしれません。

そして読んだとしても、考えを新たにして変わってくれるかもしれないし、何も変わらないかもしれません。最初に書いたようにアスペルガーとの向き合いかたも、100人いたら100通りなのでそれぞれが向いている方法を自分で探さなければなりません。

でも唯一共通しているかなと思うのは、「相手を認めようとすること。得意なことをやっている時間をできるだけ長く取り、機嫌よく過ごせるようにすること。逆に苦手なことをやる時間をなるべく少なくし、ストレスを減らすこと。」によって、本人もパートナーも快適な時間を過ごせるのではないかということです。

最後に、なぜ今回この記事を書こうと思ったかというと、「止まない雨はない」ということを伝えたかったからです。以前は自分の感情と、表に出てくる表情や言動が一致しなかった旦那。

アスペルガーのパートナーが困る点としては、「怒っていないのに怒っているような表情をしている」とか「魂が抜けたような表情で『別に』としか喋ってくれない」……本当に私のことを大切にしてくれているのか、家族を愛してくれているのか、仲良くする気があるのかが不安になってくることです。

そしてそもそもアスペルガーの専門家でさえ少ないのに、100人いたら100通りの対応の仕方をしなければなりません。要は神様やお医者様が「こういう風にしなさい」と特効薬のような対処法を教えてくれるのではなく、パートナーや家族が向き合いかたを模索する必要があるのです。だから、孤独になります。

でも、そんな意味不明で、冷たくて、本当に私を愛してくれているのか、仲良くする気があるのかわからないロボットのような人は…変わりました。

先日スタジオでウェディングフォトを撮ってもらったのですが、「笑顔の写真の他に真顔の写真も撮っておきましょう」とカメラマンさんが提案してくれました。いざ真顔の写真を撮ろうとすると、ニコニコニコニコと笑みが溢れ出てきて全然真顔の写真になりませんでした。するとカメラマンさんが「普段から優しい旦那様なんですね!優しさがにじみ出てる!」と言ってくださいました。

何を言ったら、何をやったら変わってくれるのか、冷たいロボットじゃなくなってくれるのか、孤独な闘いを続けてきました。撮影を終えてスタジオを出た私は「この日のために頑張ってきたんだろうか」と報われた気持ちになりました。

人によっては1年で変わるかもしれない、3年かもしれない、10年かもしれない、80年かもしれない、もしかしたら一生変わらないかもしれない…諦め半分の孤独な闘いに良くも悪くも慣れてきた頃に、こうしてフッと報われる瞬間があると面白いなと思ってしまいます。

闘うことだけが美徳ではなく、時には諦めること・放置することも有限である人生を有意義に生きるために良い選択肢となり得るでしょう。でももし、今闘いの真っ最中で悩んでいる方がいたら「大丈夫だよ」と伝えたいのです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました!!

スポンサーリンク

Follow me!