女性は一体何を察してほしいのか

こんにちは。

またツイッターを見ていて思ったことから記事にしていきます。

「察してちゃん」「男性脳女性脳」といった言葉が話題にあがり始めてはや数年……。

男女のココロの溝は永遠に埋まらないと思いますよ。埋まらないと思っておいて、「察してくれたらラッキー」「分かり合えたらラッキー」ぐらいに思っておくと気が楽です。

相互依存は最高で共依存は地獄

相互依存とはお互いが自立しているうえで、組んでもいいし組まなくてもうまくやっていけるけど、組むとよりうまくいくから協力している、でも必要があればすぐに離れられるといった感じです。

共依存はまさに「依存」そのもので、お互いに相手がいないとやっていけないような状態です。

相手が察してくれなければ・助けてくれなければ成り立たないようなコミュニケーションであれば、自分のコミュニケーション能力が低すぎます。

「察してくれなくても良好だけど、察してくれたらラッキー」ぐらいを基準にしておかないと、そもそも自立した大人のコミュニケーションとして成立していません。

「察してちゃん本人が悪い」という意味ではなく、日本の学校教育ではほとんどまともにコミュニケーションを教えないし、だから親も知らないから家庭でも鍛えられないし、誰もコミュニケーション能力を鍛える場面がないまま大人になっちゃうんですよね。

誰々が悪いというよりは、そういう環境だよね~と私は思っています。

(関連記事→「心の声を育てる」

結局、何が欲しいかが自分でもわからない。だからイライラするし不安になる。

転職やら起業やらマイホーム購入やら、自分がやりたきゃやればいいし、やりたくなかったらやらなければいい。自分の人生なんだから他人にとやかく言われたって関係ない。

だけど世の中のほとんどの人は周りが転職・起業・マイホーム購入……etcしていると「自分もしたほうがいいのかな?」と不安になる。

「自分がしたいか?」じゃなく「したほうがいいか?」にすり替わっちゃってるんですよね。

自分の心の声を、自分でも知らないんですよ。

それはまともなコミュニケーション、心との向き合いかたを誰からも教わっていないし、鍛えていないからです。

背景を考える思考力や状況把握能力で「察する」ことは可能

エスパーのような本物の超能力を求められている場合は別ですが、「なぜ相手はそれを言ったのか」と背景を考える思考力や状況把握能力を意識していけば、たいていの場合何を察してほしいのかは理解できると思いますよ。

「察してほしい」派と「具体的に言ってほしい」派、双方が歩み寄る努力をするべきでしょう。

さて、私はあまりジェンダーハラスメントにつながるような「女だから」「男だから」という話し方は好きではありません。

私自身が田舎の亭主関白の父親がいる家で育っていて、学生の頃は理不尽さと意味不明さに怒りすら覚えたからです。

ですがやはり生物学的に違いが生まれるのは避けられないので、少し書かせていただきます。

そもそも生物学的に見れば女性のほうが共感力や想像力は豊かです。

大昔、体温計も病院もない時代に赤ちゃんの顔が赤くなっていたら…?

  • 日焼けによるものなのか
  • 毒のあるものを食べたのか
  • 菌に感染して熱が出ているのか
  • 熱中症なのか…etc

赤ちゃんは喋れないので、命にかかわることなのか些細なことなのか、どんな対処法がいいのか、こちらが読み取ってあげなければいけません。

大昔に鍛えられた力が今でも残っているのでしょうか。子どもや旦那さん、友達や後輩の顔色を見て「何かあった?」「大丈夫?」とわかってしまうのが女性なのです。

一方で大昔の男性の仕事と言えばもっぱら狩りでした。

イノシシやマンモス相手に「痛いよね?」「苦しいよね?」なんて表情を読み取りながらでは、とてもじゃないけど食料を確保できません。

時には空気を読まずに残酷に戦わなければ自分や仲間、家族を守れないのです。

もし狩りの途中に「ごめん!足捻ったから先行ってて!」なんて仲間に言われたら男性は「おう!わかったよ!」と獲物を倒すことに専念します。

獲物を倒して食料を確保することが、怪我をした味方や待っている家族のためになるからです。

逆にこれが女性だったとしたら「大丈夫?あっちの木陰まで行って休もう。川の水で冷やせるよ。」と誰かが付き添って移動させるのではないでしょうか。

男性と女性ではそもそも脳の作りが違うのです。

狩猟採集時代から江戸時代ぐらいまでは「おばあちゃん・お母さん・長女・次女・三女」なんて女は女で家事をして、男は男で畑仕事をしていたものだから、同性だけのチームで理にかなっていたのでしょう。

それが現代になって核家族化が進み、特性の違う男女が協力して家事育児に携わるようになったから歯車がうまくかみ合わないのです。

育児において女性が男性に求めていることは自立と当事者意識

育児を例にすると、ほとんどの場合女性が男性に求めていることは「自立」「当事者意識」だと思います。

例えば「ミルクをあげて!」と言われてミルクをあげたのにママはイライラしている、「子どもを公園に連れていって!」と言われて公園に連れて行ったらイライラしている。

なぜイライラしているのか教えてほしいけれども、怒っているからなかなかうまく話し合えない……。

この時ママは何に怒っているかというと「自立しようとする意志」と「当事者意識」が欠如していることです。

「自立」はどういうことかというと、母親も親だし父親も親なんです。もしある日突然ママが入院することになったら?

子どもを守れるのは父親だけなのだから、「ミルクをあげたけど次は何??」「公園に行った。あー疲れた、終わり。」状態では全く生活が成り立ちません。

相互依存の状態で「一応ママもパパもひと通り家事も育児もできるけど、普段は便宜上役割分けしている。でも必要があればできる。」となっているのが理想なんです。

もしかしたら女性と男性で目指しているゴールが違うのかもしれません。

女性にとっては「2人の自立した大人で家事育児に携わる」のがゴール、男性にとっては「メインの家事育児は女性だけど、言ってくれたら手伝うよ」がゴールであり大正解なのです。

しかし残念ながら女性からしたら「手伝う」という概念の時点で一発レッドカードです。(笑)

「もし明日からママが入院するとなっても子どもたちを守れるレベル」ぐらいでいてほしいのです。

もしママがいなかったら「ミルクをあげたら仕事は完了!哺乳瓶は台所に置いておけばいいや!」ではいずれミルクを飲めなくなります。

洗ったり消毒したりして、次のミルクの時間のときにスピーディーに赤ちゃんを満腹にさせてあげられるように、準備しておくのです。

もしママがいなかったら本来一人で全部やらなきゃいけないこと。だって「親」だから。

なのにママがいると甘えて「えー?ミルクあげたじゃん。なんでイライラしてるの?具体的に指示してくれないとわからないよ。察してちゃんはやめて。」と次に必要になることの指示を待ってしまうのです。

「親」として「保護者」として、自分が赤ちゃんに安全で衛生的に生き延びてもらうために何ができるかと考えれば、哺乳瓶を台所に放置することが正解だとは思わないでしょう。

遠距離恋愛で久しぶりに会う彼女の機嫌が悪くて、最初は話してくれなかったけどよくよく聞いてみたら

「昨日のランチで行ったレストランでメニューを間違えて出されて、慌てて作り直されたから時間がギリギリになって、走ってオフィスに戻ったらかかとが靴擦れした上に1分遅刻をして、たった1分なのに上司にネチネチ言われてむかついた。」なんてエピソードだったら

「超能力者でもないのにわかるかっ!」と言いたくなる気持ちもわかります。

だけど哺乳瓶を使ったあとに洗浄や消毒が必要になることぐらい、小さい命を預かっている親ならわかりそうなことだし、そもそも毎日ママが目の前でやっていることなのに、言われない限りわからなかったなんて、どれだけ私や家庭や赤ちゃんに興味がないんだろう……って悲しくなるんですよね。

「ママがいつもどんな作業をしているか?」「赤ちゃんにすくすく育ってもらうために親に何ができるのか?」っていうのを積極的に拾おうとしない姿勢、それにイライラしているんです。

これが幼稚園や小学生のお兄ちゃんお姉ちゃんが「僕・私もお手伝いしてみたい」なんて哺乳瓶をくわえさせてあげたり、10秒ぐらい抱っこしていたら「いいお兄ちゃんね~」「優しいお姉ちゃんね~」なんて褒められます。

「でも、あなたは父【親】でしょ!?目指してるゴールが違うのよ!」と甘えに対しての怒りがこみあげてくるのです。

カフェに行ったときトレーを下げようとしたり、ゴミを分別しようとしたら「後はやっておくので大丈夫ですよ!ありがとうございます。」と店員さんに言われたことはありませんか?

従業員と客の立場だったら、やってくれてありがとうと言われます。だけど従業員同士だったら違いますよね?一緒に仕事をする仲間だからです。

ママからしたら家庭というある意味の職場(戦場?)において、パパは同僚・戦友のはずなんですよ。

だからバリバリ頼りにしたいし、自分と同じように動く立場の人間だと思っている。

だけどパパは家庭をお客さんのように利用する場所だと思っている。だから「やってほしいなら言ってよ~。」と受け身でのんきなのです。

こうして最初から認識がズレている場合があるので、「自分はどんな家庭を作っていきたいか」「どのくらいのゴールを目指しているのか」「何が正解なのか」「どこまで妥協できるか」を話し合い、認識合わせをする必要があります。

「えっ!?そこから!?面倒くさい!」と思われた方もいるかもしれませんが、実は本来このくらいやるのが「心との向き合い」=コミュニケーションなんですよ。夫婦関係以外でも。

ママが「ちゃんと考えればやるべきことぐらいわかるでしょ!なんでアナタはいつもそんな感じなの!もういい!」と怒ったとき、自分自身も根本的に何にイライラしているか・何をしてほしいのかわからなくなっている場合もあります。

対してパパも

  • ちゃんとって何だ?
  • やるべきって何だ?
  • そんな感じってどんな感じ?
  • もういいは何がいいの?…etc

とわからずじまいです。

潜在ニーズから逆算すれば「次に何をしてほしいか」がわかる

過去の記事で書いた顕在ニーズと潜在ニーズ。

(関連記事→「夫婦のトリセツは自分のトリセツ」

実際に口に出したのは「ミルクをあげて!」なんですけど、奥底に隠れているのは「親としての自覚を持って自立するための努力をしてほしい、その姿勢を見せてほしい」という潜在ニーズなのです。

奥底の部分がわかれば、あとは逆算するだけなので簡単です。

一番低いニーズだけを見ようとするから「『ミルクをあげて』だけじゃ、超能力でもない限り次に何が来るかわからないよ~」となってしまうのです。

日頃から男性も女性も「相手は何ゆえにその言葉を発したのか?」と思考する力を鍛えておけば、素敵なコミュニケーションが生まれますよ♪

愛しているときにどんな行動を取るかは人それぞれ

最後にお伝えしておきたいのは、男性が決して女性・子どもを愛していないわけではないということです。

例えばうちの旦那は遠いところでも時間があれば送ってくれたり迎えに来てくれたりします。それだけではないですが、多分私は好かれているし愛されているのだろうと思います。

だけど絶対に料理はしませんし、段ボールをまとめるのも苦手なので基本的にはやりません。お風呂掃除と掃除機がけは得意なようです。

反対に私は旦那を最寄り駅に迎えにいくことでさえ数年に一度だし、最近は全然掃除機をかけなくなってしまいました。でも旦那が喜ぶので毎日お弁当は作っています。

旦那は私を愛しているけど料理を作らないし、私も旦那を愛しているけど迎えには行きません。

「相手を愛しているときにどんな行動を取るかは人それぞれだ」と思っておけばいいのではないでしょうか。

男性が相手を愛しているときに取ろうとする行動は「重いものを持ってあげる」とか「もしアウトドアの最中にキツネやイノシシなどの野生動物が襲ってきたら体を張って守ってあげる」とか、そういうことなんです。

そういうことだったら具体的に指示されなくたって、本能的に自ら進んでやろうとするんですよ。これが自分の仕事だっていう意識があるから。

「愛情」と「家事育児を円滑に回す当事者意識」が別軸なだけなんです。愛情がないわけじゃありません。

そういった違いがあるので「相手と自分は違う人間なんだ。なんなら違う動物かもしれない。」ぐらいに思っておいて、認識の齟齬があっても驚かずに冷静に話し合えば大丈夫です。

では素敵な人間関係を築いていきましょ~♪

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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