なぜ勉強をしないといけないのか?⑥

私が大学に入るまで

低学歴な彼が教えてくれた、幸せのヒント」のテーマで書きたかったのですが、彼との出会いに入る前に、また話が長くなってしまいました。

小林正観さんの本を読んだ方は、もうわかっていただけると思いますが、物事には良いも悪いもないのです。

低学歴が悪いことで、高学歴を良いことだと言うのは、赤は悪い色で、青は良い色と言っているようなものです。水は良いもので、土は悪いものと言っているようなものです。

この世には、良いものも悪いものもないのです。

「高学歴な人=良い人」という価値観の方がいますが、私は、「低学歴で良い人もいれば、低学歴で悪い人もいる、高学歴で良い人もいれば、高学歴で悪い人もいる。その人を知ってみなければわからない。」と考えていました。学歴ではなくて、相手の人間性を見たいと。身長や顔の造形についても、こだわりはありませんでした。

学歴コンプレックスを抱えた両親に育てられた私は、幼稚園の頃から「勉強は大事」「勉強しなさい」と、とにかく言われまくり、中学生ぐらいからは、「学歴さえあれば、絶対に幸せになれる」と言われてきました。

最初は、幸せとは何かもわからなかったけど、「多分、幸せじゃないよりは幸せなほうがいいだろう」「(勉強を)やらないよりはやったほうがいいだろう」と思っていました。

それが毎日毎日毎日毎日刷り込まれるものだから(笑)、だんだん「高学歴になれば、幸せになれるから、頑張ろう」と自然に思えるようになってしまいました。

文武両道を掲げる高校に入り、部活はそれなりに忙しいし、宿題や進学講習も多く、まあまあ大変なスケジュールで頑張っていたんじゃないかなと思います。受験期には、10円ハゲができたり、親より白髪が多くなっちゃってる人もいましたから。

でも、私は当時そこまで「辛い」と思っていませんでした。

頑張れば幸せが待ってる」と信じていたから。

私の通っていた高校では、進学についてのプリントを配られ、進路について考えるときには、「好きな教科をもとに考えましょう」「なりたいと思う職業から逆算して進路を決めましょう」と言われました。これついても、別で記事を書こうと思っているのですが、学校側としては「好き」「やりたい」「なりたい」を重視していました。

一方の親は、「通える範囲で、最も学歴の高いところじゃなきゃ駄目」という価値観。「学校の先生の言うことをちゃんと聞きなさい」と育てられたので、学校の先生の言うことを聞こうとすると、「○○大学に入れる可能性があるのに、それより偏差値の低い大学に入りたいだなんて、あり得ない!人間じゃない!」「好きなことを仕事にできる人なんて、世の中のたったひと握りなんだから、そんなもの目指していいわけがない!」と怒られました。

百歩譲って、世の中の常識や風潮、理論に対して「そうじゃなくたって、いいんじゃないか」って文句を言うのならわかるけど、過去に自分で言ったことでさえも、感情で捻じ曲げる…それが毒親。(笑)

「好きなことを追求する」って言ったって、ギャンブルや売春や麻薬にどっぷり浸かるんじゃないです。「好きな教科をたくさん勉強する」っていうことです。そんなに悪いことでもないのに、なぜこんなに、時には人格否定も織り交ぜながら怒鳴られないといけないのか。

進路希望調査って、何回か提出しなきゃいけないので、そのたびに憂鬱でした。人格否定や、支離滅裂で話の通じない人間と話をする苦痛から、メンタルが結構削られました。

友達のお母さんは毒親ではないので、友達に相談しても「natsuがちゃんと自分の意見を言わないからいけないんだよ~!話したら、きっとわかってくれるよ!」という普通の人間らしい答えを返してくれます。

「そうだよね。私が、ちゃんと自分の意見を言ってなかったのかも。」「言い方が悪かったのかも。」と思い直し、再度チャレンジしても、結果は悲惨でした。涙の出ない日はありませんでした。

「好きなことをやるために大学に行く」から譲歩し、「大学に行かない」という主張に切り替えてみましたが、支離滅裂な話はヒートアップ、ヒステリーもヒートアップ。

幼少期から鍛えられてきた習慣、「波風を立てないために諦める」が発動され、「まあ、高学歴って幸せになれるらしいし、就職にも良いんでしょ。もういっか。」と思い、ついに学校の先生の言うことに背き、学歴の高い大学名を、進路希望調査の用紙に書くことになったのでした。

「やっぱり、波風を立てたくないからって、ちょっと言っただけで簡単にあきらめるから、伝わらないんだよ。熱意が足りなかったんじゃない?もっと他の言い方があったんじゃない?」って思う人もいるかもしれませんが、高校3年間で、拒食症にもなりました、それだけ精神を病んで、必死に涙を流して訴え続けても、許されなかったのです。

当時、「これは魔女狩りだな!」って思いました。(苦笑)

拷問で、「私は魔女です」って言わせるんですよ。無理矢理。それで、「え?だって、今自分で魔女って言ったじゃん!」ってなるんです。

彼女は「自分は魔女だから、嘘ついて隠さなきゃ」なんて思ってなかったと思います。本当に魔女ではなかったのだと思います。でも拷問が辛すぎて、耐えかねて、「私は魔女です」と言ってしまっただけなのです。

私も言われましたよ。「だって、アンタが自分の口で言ったんじゃん!」「自分で決めたんじゃん!」って。やり方がね…卑劣。死んだら地獄に行くんだろうな、ご苦労様…って、イライラも涙も通り越して、もはやここまで来ると呆れていました。

「子どもは親を選んで生まれてくると言われるけれど、私、お空の上でのくじ引きで、全然運がなかったんだなぁ(トホホ…)」と思いました。

毒親家庭は、理不尽が限度を超えてるんです。うっかり普通家庭の人に口を滑らせてしまうと、「ちゃんと話合わないからだよ!」など言われて、理不尽に押しつぶされそうになっているメンタルを、さらにつぶされかねないのです。相手に悪気はないんですけど。

そういうわけで、相談できる人がいないんですよね。プロのカウンセラーさんや心療内科のお医者さんに話を聞いてもらうことはできるんですが、「ほんっとわかる!辛いよね~!」「そうそう!全然意味がわからなくてー!」とか、身近な人と共感したいのが人間なのです…。

こうした悩みを緩和してくれるのが、体験談。

作者は、子ども時代を鮮明に思い出しながら描かなきゃいけないわけじゃないですか。本当に大変な思いをしながら描かれたと思います。でも「これで救われる人がいるなら」という作者の思いの通り、私は勝手に「仲間がいるんだ」って思えて、すごく励まされました。

次回に続く)

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