ヒトはなぜミニマリストに憧れるのか|本が捨てられない人の心理|責任感が強い?|ゆるゆるミニマリストを目指す

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こんにちは。

実はゆるゆるミニマリストを目指しています。(笑)

以前Twitterのアカウント名に「豊かな人を目指してます」的なことを書いていたのですが、そうすると「あなたもこれで月収100万円!」みたいな勧誘が絶えず来て、書くのをやめました。でも豊かな人になることをやめたわけではないです。

私が言っている「豊かな人」っていうのは単に収入が多いのではなくて、愚痴を言わない、差別をしない、自分や家族の健康に気を配れる…そういう心の余裕を持っていることなども含まれます。

だから「見栄や執着、不安などから解放されて、自分の人生に必要なものを過不足なく選べる力を持った人」ってすごく素敵だし、近づきたいと思っています。

それで何年も前からミニマリストに憧れていて、物は「多くはない」レベルに。でももっと減らせるかな~っていうラインを抜け出せず、ふと時間ができるとミニマリストさんが出した電子書籍を読んだり、YouTubeを見たりしながら過ごしてきました。

その自覚はあって、Gさん(夫)に「ま~たミニマリストがどうこう言ってるよ~♪まあ、いいんじゃない、何でも(笑)」といじられながら、ときどきブームが来るたびに、将来設計とか仕事の予定とかを見つめ直していました。意外とそんな自分も嫌いじゃないです。(^_^;)

服・本は買い戻し可で捨てやすい|思い出品は最難関…のはずが

服は機能性と清潔感重視であっさりクリア

巷でよくある片づけの理論(?)においては、「思い出品」が最後に手をつけるべきものとされています。服と本は「しまった!捨てなきゃよかった!」と思ってもある程度買い戻しが効くので、「いざとなったら、また買えるから」という安心感ゆえに、捨てるハードルが低いらしいです。

しかし当たり前ですが個人差はありますよね。私はわりと買い物は機能性重視、そして特に服については「安くても、オシャレじゃなくてもいいから、とにかく清潔感を」ということを意識しています。

だから「かわいいけどチクチクする下着」とか「オシャレだけどあまり防寒にならないカーディガン」とかは、すぐに手放せます。ここの自分軸は結構ハッキリしているのでやりやすいです。服クリアですね。

最難関のはずの卒業アルバムも意外にあっさりクリア

思い出品は通常は最難関と言われています。なぜなら買い戻せない物も混じっているうえに、機能性とは別に気持ちが入ってきちゃうからですね。

私は「思い出のモノ」自体に意味があるんじゃなくて、心に刻まれた「思い出」にこそ意味があるって思えるタイプだったので、卒業アルバムもあっさり捨てちゃいました。後悔したことは一度もありません。(笑)

父が転勤族(といっても少ないほう)で、小学生のときにめちゃくちゃ仲のいい子と離れなければいけなくて。それを乗り越えて以来、吹っ切れるようになり、「生きてりゃ人と出会うこともあるし、別れることもあるさ」と思えるようになったのかもしれません。

はい、最難関の思い出品クリア。

私も捨て変態かも!?

私は自称「捨て変態」の「ゆるりまい」さんのコミックエッセイが好きです。[わたしのウチには、なんにもない。4コマ総集編]で、結婚式に流すプロフィール映像のために「じゃあ今までの写真を15枚ほどお持ちいただけますか」とウェディングプランナーさんに言われるシーンがあります。

「すみません…かき集めても8枚しかないんですけど…」と答えるまいさん。私の自宅には8枚もありません。実家に行けばかき集められるかも。

「じゃあ15枚選んで持ってきてくださいね~」と言われて、普通に持ってこれる世の中の女性たちはすごいなって思います。(^_^;)

私は「捨て上手」ではないけれど、「捨て変態」ではあるのかもしれない…!?と思ったのでした。

本が捨てられない人の心理を考えてみた

卒業アルバムを秒で捨てちゃうあたり、「ナツさんって結構サバサバしてそうなのに、どうして簡単な本が捨てられないの!?」と疑問に思われていそうです。(^_^;)

プロのカウンセラーさんでも自分で自分のことを見るって難しい・できないっていう人もいるぐらいなので、私自身も私の気持ちを完璧に知っているわけではないですが、「多分こういう心理だったんじゃないかな?」っていうのを挙げてみました。

「本が捨てられない人の心理」で検索してみたんですけど、納得できる記事に出会えなかった(おそらくライターさんが書いている普遍的な内容ばかりで悩みの解決にならなかった)ので、個人ブログのメリットを存分にぶつけたいと思います。

捨てられない理由はズバリ不安・不満足だったから

私の職業は今のところリラクゼーションセラピストです。簡単に言うと他人の肩や腰を揉んでいます。

セラピストって職歴が長い人は長いんですが、離職率が高くて常に人手不足です。①業界内だといくら転職を繰り返しても拾ってもらえるから簡単にお店を移っちゃう人が多いのと、②研修(施術フォームや手の使い方の指導)が不十分だったり、経費削減で高さが変えられないベッドを導入していたりで、体を壊して辞めちゃう人もいますね。

そんなわけで未経験可の求人がたくさんあり、私も最初にこの職に就いたときは民間資格すらない、完全な無資格者でした。働きはじめてしばらく経ってから、ワークショップに参加したり本を買って勉強するようになりました。

色んな先生の講座を受けたり資格を取ったりしてみましたが、ある時「浅く広く、横には知識が伸びていくけど、縦に深掘りできないな」というもどかしさを感じ、「一旦ガッツリ体のことも施術のことも学ぼう!」と思って2021年4月に「はり・灸、あん摩・マッサージ・指圧」の専門学校に入ることにしたのでした。

(っていうか普通に考えて、他人の体をケアするのにたった数日の会社の研修で責任を持つって怖くないですか? 制度上・予算上、しょうがないのかもしれないけれど、当時はそこに憤りを感じていました。)

国家資格に向けて生理学や解剖学を勉強するので大変といえば大変ですが、しっかり学べる環境には満足しています。

そんな風に満足できるようになった今、「リンパとかトリガーポイントリリース療法の本を手放してもいいんじゃないか?」って思えるようになりました。(こういうの↓)

木で例えると、よくある講座や本で学べるものって枝葉の部分なんですよね。ずっと枝と葉ばかりが増え続けて、幹にはたどり着けていない自覚があるから自信が持てなくて、それで本とか講座で配られたプリントを捨てきれずにいたんだと思います。

だけど清水の舞台から飛び降りる気持ちで、根っこから学ぶことにしたから、枝葉が多少減ろうがあまり気にならなくなったんですね。「細々とした知識やテクニックを学びたかったら後から学べばいいんだし、根っこがしっかりしていればどうにかなるでしょ!」と思えるようになりました。

本とか数千円の講座のプリントとかを、捨てたいのに捨てられなくて悩んでいる方は、思い切って数十万(人によっては数百万)円でその分野について本格的に学んでみると、1番重要な根っこになるテキストだけ厳選できて、物が減らせるかもしれないですね。

お金が減っているのに満足もできていない罠

そういえば昔、脱毛グッズもあれやこれやと色々買ってみましたが、最初から脱毛サロンに行っておけば無駄がなかったなって思います。

[ 毒舌うさぎ先生のがんばらない貯金レッスン] 第2章で「やっぱり買えるもののなかでかわいいものを探すしかないよね!」と、本当に欲しいものを諦めて、安い物で代用しようとする主人公家族が描かれています。すると毒舌うさぎ先生がこう言い放ちます。

本当にほしいものは買えず、たいしてほしくないものにお金が消えている!お金が減っているのに満足もできてないなんて最悪よ!!

毒舌うさぎ先生のがんばらない貯金レッスン p.64

私も世の中のほとんどの女性と同じように、脱毛に興味があったのですが、ちゃんとしたサロンとか医療脱毛とかに行くには何十万円~何百万円かかるんですよね。(大学生のときに見積りを出してくれた某大手サロンは180万円を提示してきました…大学生に、ですよ!?(笑))

社会人になってからも「何十万円も一気に吹っ飛ぶなんて…」と勇気が出ず、LoftとかAmazonで買えるちょこちょこした脱毛グッズを色々試していました。でも、その数年後に結局フラッシュと鍼の脱毛を受けたんですよね。

ちょこちょこした金額とはいえ、ろくに使いこなせずお金を無駄にしただけになるなら、最初から1番満足できるサービスにお金を払っておけばよかったんだな…って今になってわかるようになりました。(^_^;)

雑貨でも服でも本でも、本質ってそういうところですよね。(笑)

補足:ミニマリストを目指す目的

「ミニマリストを目指す!」ってなると、(私が新たに国家資格を取ろうとしたことなどについて)「いやいや、新しいもの増えちゃってたらダメじゃん!とにかく捨てまくるのが大事でしょ!?」って人もいそうですが、いわゆる1 in 2 out になるっていうのと、本当に大事な(欲しかった)物にたどり着けたってなるなら、結果オーライだと私は思います。

だって捨てることが目的なのではなく、あくまで生きやすくすることが目的だから。

時が経てば、また「1番重要な根っこだ」って思っていたはずの物が入れ替わったり、捨てたり…人生ってそういうものでしょう?

「柳に雪折れなし」の柳のように、のらりくらりやってみればいいんです。「今すぐに、完璧に、全てを捨てられない自分はダメなんだ」って責めちゃうことのほうが、よっぽど生きやすさの邪魔です。

「ミニマリストを目指す」っていうと、「物が少なければ少ないほど勝ち」「生活必需品以外の物を持っていたら誹謗中傷コメントをつける」みたいな人が現れたら嫌なので「ゆるゆる」って言ってます。(笑)

人がミニマリストに憧れる理由は「何者でもない自分になれるから」

2021年の冬から春にかけて、NARD JAPANという協会のアロマ・アドバイザー(になれる)講座を受講していました。

その後アロマとかハーブの本が多すぎるので手放せたら…とふと思ったことがありました。

もしも NARD JAPAN の年会費も払わなくなって、アロマやハーブの本を全て捨ててしまったとしたら?

私は「アロマ・アドバイザー」ではなく「ただの人」になります。

そこで勇気を持って「え?私ですか?『ただの人』ですけど?」って言うことは、不安だったり怖かったり、人によっては惨めと思ったり、恥ずかしいとか悔しいとか思うかもしれません。

でもそれを乗り越えて「ただの人ですけど?え?今ですか?息吸ってますけど?」って言えちゃったら、すごく楽になるはずです。

要は、私はある意味「アロマ・アドバイザーたりうる人」であるために、その責任を果たすために、物を所有し続けていると思われます。

私みたいに資格系の年会費を払い続けてしまったり、教科書や本を捨てられない状況っていうのは、ある意味その責任に囚われているのではないでしょうか?

責任を持って仕事に臨むことは、私は基本的には楽しいとかやりがいを感じるとか、プラスにつながることと考えていますが、多分たまにキャパオーバーになっちゃうんですよね。(苦笑)

実はGさんが「ただの人」でいることが得意なタイプなんです。私とGさんは真逆な性格をしていて、お互い学べることが多くて面白いですね。

この記事を書いているのは1月なのですが、Gさんはお正月休みにひたすらゲームをやっていました。清々しいほどに、1日中ゲームに熱中していました。

Gさんは楽観的で私は真面目なタイプなのですが、私は年末年始やゴールデンウィーク長期休暇といえば、今後やっていく仕事のアイデアを整理したり、勉強の予定を無意識に入れようとするんですよね。

それはおそらく何者でもない自分が、社会に何も還元していない自分が怖いからだというのもあると思います。(自覚はないけど。)

最近はだいぶマシになりましたが、元々自己肯定感は低いので、そのせいっぽいですね。(苦笑)

断捨離とかミニマリズムとかやると「人生変わるよ!」って言う人も多いと思うんですが、こういった責任から解放されたり、自己肯定感の低い自分を受け入れられたりするから、人生が変わったような感じがするのだと思います。

さいごに|自分を受け入れる練習をしよう

この記事を読んで「あーそっか!だから捨てていい(捨てたほうがいい)のか!ポイッ!」って本を手放せる人もいれば、「理屈はわかったけどやっぱり…」ってためらう人もいるのではないかと思います。

でも「捨てられない自分が今ここにいるんだな」っていうことを受け入れてほしいです。

それが自己肯定感が上がったり、不安が気にならなくなったり、生きやすくなるための第一歩だと思うからです。

自分や、例えば子どもに対して「ちゃんとできている時=OK、怠けていたり成績が悪い時=NG」ってしちゃうと、「常にちゃんとしていなきゃ」って気が休まらなくて、イライラしたりノイローゼや鬱病に発展していっちゃうと思うんです。

適度に生活を引き締めるのは大事なことですが、「ただ生きているだけの自分がいる。休んでいる自分がいる。でも人間なんだから常に完璧にはならないよね。気を抜いているときもあるよね。」って思えるようになったら、生きるのが楽になるのではないでしょうか?

私もなかなか難しいですが、そう思えるように努力しています。頑張りすぎて潰れちゃうタイプなので。(^_^;)

さてさて、ここまで読んで本を捨てたくなったでしょうか?手放したい本は何冊ありますか?

この記事が少しでも役立ったら嬉しいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございます(^_^)/~

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