natsuの将来の夢の変遷①|幼稚園~高校生

こんにちは!

「好きなことを仕事にしたい」と思う人は少なくないと思います。しかし「好きだと思って始めてみたのに、何か違った」「好きなことを仕事にする方法がわからない」という人も多いはず。

「どんな仕事に就けばいいんだろう」「あの人は充実してていいな」「私も転職したら幸せになれるかな」「毎日なんであんなに楽しそうなんだろう」「仕事が楽しいって思える能力っていいな」「別にブラックなわけじゃないし、私の今の状態が幸せっていうものなのかな」「老後にカフェをオープンしたりしたら、それが幸せなのかな」「子どもが生まれたら幸せって思うのかな」…etc

今の自分がどんな選択をすることが今・未来の自分にとってベストなのか、わかりかねる部分がありますよね。正解としては「自分の人生の地図を描く」。過去記事でも言っているようにこれに尽きるのですが、今回は私の仕事に対する捉え方や夢・就きたい職業の変化を具体的に書いていこうかなと思います。

①が幼稚園~高校、②が大学~現在に至るまでです。では早速いきましょう。

幼稚園時代

毎年誕生月が来ると、手形や写真を画用紙に貼って、先生に将来の夢をヒアリングされて書かれるというイベントがありました。「ケーキ屋さん」、「お花屋さん」と答えた記憶があります。3年通ってたはずだけど、もう一つは忘れました。

この頃は世の中にどんな仕事があるかもわからなかったので、テレビで見る職業か近所のスーパーで見る職業くらいしか知らず、特になりたくもなかったけど、他に思いつくものがなかったのでそう答えました。

小学校時代

普通「卒業文集」ってどこの学校にもあると思うんですけど、4年生が終わるタイミングで担任の先生が「文集を作りませんか」と提案して、親は名前の由来や一緒にやってみたいことを、子どもは将来の夢などを用紙に書いて提出しました。

当時私はピアノを習っていて、これも特になるつもりがなかったけど、他に思い浮かばなくて「ピアニスト」と書きました。母に「ピアニストっていう仕事はどうなの?」と聞くと「ママの同級生にもいたけどねぇ…音大に行った子。大変なんだよね、お金もかかるし。」とのこと。実際に目指すつもりはなかったので「ふーん。」で終わりました。

小学校高学年になったとき、ほんの一瞬でしたが「ヤ〇キー」になりたいという夢ができます。(笑)理由は「強くなりたいから」でした。

両親がモラハラ体質でありヒステリックでもあり、私がお友達を叩いたとか、そういう悪いことをして怒られるのならまだしも、両親の機嫌によって理不尽なことでも怒られていました。

「それは間違えているよ」と心には思っていたものの、子ども対大人ではやっぱり大人のほうが口も強いし手も強い。ずーっと言い返せずに泣くことしかできませんでした。「せめて対等に言い合えるようになりたい」「反論を聞いてもらうところまでは行きたい」という思いから、一瞬だけ「ヤ〇キー」に憧れていたんですよね。(^_^;)

中学校時代

「波乱万丈」ではなかったと思いますが、一人一人の人生を追いかけるテレビ番組をやっているのを偶然見たときのこと。暴走族から弁護士になった人が出演していました。

その人いわく「俺は口喧嘩じゃ誰にも負けねぇ!だから弁護士になれる!」とある時確信したそうで、司法試験にも合格し、弁護士として活躍されている姿が映っていました。

理不尽にモラハラを受けることにうんざりしていた私は、「そうか!口喧嘩が強い人=弁護士だったら、逆説的に、弁護士になれば口喧嘩が強くなれるっていうことだよね!」と弁護士になることを思い立ちます。

その頃ちょうどカプコンの「逆転裁判」というゲームがマイブームだったのですが、登場人物として刑事や検察官も出てきます。常日頃「公務員は良い」と刷り込まれていたので「あ、検察官だったらカッコイイし、機転の利く言い返しもできて口喧嘩も強いんだ。それで公務員だったら、これを目指せばいいよね!」ということで、検察官を目指します。

中学校の卒業制作で絵を描いたのですが、その時に検察官バッジを書きました。当時は本気で「絶対検察官になるんだ」と思っていましたよ。(^_^;)

検察官バッジの絵

高校時代

モラハラをこじらせているご家庭で育った人は、だいたい「医者、弁護士、エリートサラリーマン、公務員」など何かしらの肩書を名乗れる職業に就くように刷り込まれる印象ですが、ウチの場合は公務員刷り込みでした。

私の両親は勉強も仕事も嫌いなタイプなので、「学生のときに勉強を頑張って良い仕事に就いたら、二度と勉強や努力をしなくてもいいお給料をもらえるんだよ、素晴らしいでしょ?だから今勉強を頑張りなさい。」という主旨のことを言っていました。(大人になっても、良い仕事に就いても、勉強や努力をしている人は世の中にいっぱいいるんですけどね…。)

私は自分が通う高校の先生を見ている中で、失礼ながら尊敬できない人のほうが圧倒的に多かったです。生徒と向き合う気もない、楽しく覚えやすく勉強してもらおうという気もない…読んでほしいのか読んでほしくないのかわからない汚い薄い字で(笑)、つらつらと50分間あらかじめノートに書いてきたことを黒板に写し、チャイムが鳴ったら終わる。

向上心もなければやりがいもない、ただつらつらーっと書いて終わり。実際には色々な仕事があって大変だったのかもしれませんが、私には「生気のない顔」の印象だけが残ってしまいました。

だけど両親からしてみたら「そんなの最高じゃん!努力も何もしなくたって、一度教師になってしまえば、ずーっと安泰なんだから!」というわけです。逆に私は勉強や努力が必要になってもいいから、仕事にやりがいを感じながら向上心を持って仕事をする方がいいと思い、それは今でも変わっていません。

ちょうど英語が好きだったので「公立の学校の英語教師を目指すのもいい」と言われていましたが、「どうせ英語を使う仕事だったら通訳や翻訳家がいいし、先生じゃなきゃダメなら、私立高校の先生とか塾の先生のほうがいいな」と思っていました。

「どうやったらもっとわかりやすいと思ってもらえるか」「どうやったらもっと良い訳ができるか」なんて追求している姿のほうが素敵だし、私もそうなりたかったのです。

コミュニケーションがあまり得意なほうではなく、一人で黙々と作業するのが好きだったので、とりあえず「翻訳家」という夢を持つことにしました。

翻訳家を目指すなら文学部に進学するのが王道ですが…結局文学部には行きませんでした。お金に余裕があって親がモラハラじゃなければ、当時は東京外国語大学に行きたいと思っていましたよ。

毒親の特徴として、一人暮らし・上京というキーワードを嫌がる傾向があるのですが(何だか吸血鬼とニンニクみたいですね)、大学時代はもちろん、社会人になってからも自宅から通える市役所の職員になるように言われていて、一人暮らしなんて断固反対でした。

「世間にいい顔をしたい」「子どもの学歴を自慢したい」「家が貧乏だ」「子どもを家から出したくない」…等々の理由が積み重なり、遠いながらも実家から通える国公立大学に行くことに。

行きたくない大学に学歴のためだけに行っても意味がないんじゃない?」と私は思っていましたが、行きたい学部があるからと言って偏差値の低いところを選ぶと、就職の時にとても苦労すると母の同級生の娘さんから聞いたので、就職でそんなにも差が出るのなら…と特にモチベーションを見出せない国公立大学を目指すことになりました。

なぜ行きたい理由がないのに受験勉強を頑張れたのかというと、そこに受からなかった場合、後期試験で教育大学を受験し、教師になるというレールになっていたのですが、「教師しかない」よりも「民間の会社のどこかしらを選べる・公務員だとしても選択肢がいくつかある」ほうがマシだという理由で、「絶対に教育大学に行ってたまるもんか!」というモチベーションを作ることができたからでした。

教師の中でも素晴らしい人はいるでしょうし、その職業自体を否定するわけではないのですが、「絶対にこれしか駄目!」と強制されると「意地でもなるもんか!」と思ったのです。最近はモンペの対応とか大変そうですしね…。

キリがいいので今回はここまで。次回「natsuの将来の夢の変遷|高校~大学エピソード追加」に続きます。

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