断捨離の本質と気付き

こんにちは。

陰が強まり、憂鬱になる秋

今週は気分が沈んでいます。(^_^;)

去年も同じような感じだったのでおそらく季節的なものなんですかね。陰陽のバランスが崩れやすいというか。

noteの記事で書いているのですが大学在学中に一度意識を失ったことがあって、その時は死への恐怖よりも「あぁ、もう頑張らなくていいんだ。やっと楽になれる。」という嬉し涙が出ました。(今思うとすごいメンタル壊れてますね。)

春と秋は鬱病っぽいような憂鬱な気分になる人も多いと思います。

私は2月に転職をしたこともあり、春は緊張のしすぎで「もっと頑張らなきゃ」と追い立てられるような精神的疲れがありました。

秋は「もっと頑張りたいのにうまくできない!」という焦りよりも「がんばりたくな~い」と海の底に沈んでいくような精神的疲れを感じています。

秋とはそういうものなんですかね。

ツイッターやセミナーで他人を見ていると、能動的でガツガツ頑張っている印象。

私も普段は真面目で知識欲がある人間らしいのですが、今週は別人格っぽいです。

  • 自分が何をやりたいかわからない
  • むしろ何もやりたくない
  • 頑張りたくない
  • 人生に疲れた

…etc

そんな感じです。

やっぱりこの世に生まれてきたからには、豊かに・幸せに・良く(善く)・楽しく生きたいかなって思いますよね。

私は20代前半で大きく体調を崩したこともあり、平均的な人よりもお金や健康に対して「しっかり対策しておきたい!」という思いが強かったんです。

「お金の大学」で言われているように、私も給与所得+事業所得の組み合わせは理想的だと思っています。

だから休みの日だったり、仕事の日でも早く起きて副業に取り組むことを頑張っていました。4月から9月まで。

「アリとキリギリス」のキリギリスになり、いざ「うわー!困った!」ってなるときの心の苦しさを味わいたくないな~って思っていたので、それが原動力になっていました。

それが季節的なものなのか、100記事(が近づいてきた)という区切りで中だるみしているのか、緊張の糸がプッツンと切れたように「あ~、何もやりたくないなぁ」と変わってしまったんです。(^_^;)

驚いたのが「本棚ごと本を全部捨てたい」と思ったこと。

断捨離の本質とは

私は人生で何回か大胆な断捨離をしています。

物が取り出しやすくなったり、掃除をしやすくなったことによって清潔な部屋に住めたり、良い点ももちろん多かったのですが、本質をクリアしていないことが問題でした。

断捨離やこんまりメソッドの醍醐味は何かというと「大事なものを選ぶ」ということなんです。

「捨てる」ということにフォーカスされがちですが実は「選ぶ」ところがカギなのです。

断捨離もそう、節約もそう、「まだ使えるものを捨てさせられる」「徹底的に真面目に無駄を排除しなければいけない」みたいな「教科書通りの正解に寄せなきゃ」という意識を持たれがち。

だけど断捨離の根幹というのは「1番大切なものを1番輝かせてあげるために、埃をかぶっているようなガラクタはお別れしましょう」っていうことなんです。

やみくもに何でもかんでも捨てて「まだ使えるのに、あれもこれも捨てさせられる。もったいない。ひどい。」となる作業ではないんですね。

最も大切なものを輝かせる作業なんです。

節約で言えば、コンビニスイーツが本当に大好きで大好きでしょうがなくて、ときめいて、何よりもそれが大切だって思って納得してお金を払っているなら全然いいんですよ。

ただ、本当は旅行が1番好きだったとしましょう。(今は感染症対策で、まともに旅行できなかったりもしますが。)

本当に大好きなものを見失って「新作だから」「安売りしてたから」「季節の限定品だから」と、大事なのか大事じゃないのかよくわからないような謳い文句に踊らされて、そこまで好きでもないコンビニスイーツを惰性で買っている場合だと、それはやめたほうがいいです。

人間、自分の自由に使える体は1つしかないんですよ。

1番目に大切なものから1000番目に大切なものまで、全部に向き合ってあげることはできないんです。

コレクションに命をかけている人は大量のフィギュアをちり一つない状態で何十年もピカピカのまま保っていられるし、それが1番の喜びだからいいんです。物が多くても。

でも私の場合は大量のフィギュアなんて持っていたら、すぐに埃が積もってしまいます。可愛い・格好いいのは理解できるけど、管理しきれないんですよね。

一つの体で丁寧に向き合って管理してあげられるものの数って、体力的にも時間的にも空間的にも限られてきます。

だから一軍選手たちが最も輝いていられるように、その他の「そこまで大事ではないかも」というものたちを手放すんですよね。

その他大勢のせいで一軍選手が輝けないというのは、本末転倒になってしまいます。

ということで、断捨離や片付けでは「いかに自分にとっての一軍選手を目利きする力を持てるか」が大事になります。

要は人生の創造力ですよね。

その本質まで理解せずに片付けブームに乗っかってしまった私は、とにかくたくさん捨てること・物が少ないことが幸せなんだと勘違いしていたのです。

だから「もうよくわかんない!捨てちゃえ!とにかく捨てればいいんだよね!手元に置いておきたいのは執着だから駄目だよね!」と思考停止で捨てまくりました。

そうすると残るのは「虚しい部屋」なんですよ。

「自分らしい豊かな人生を彩ってくれる少数精鋭の一軍選手たちに囲まれた素敵な部屋」じゃなくて、「ただ何もないだけの良くも悪くもない部屋」みたいになっちゃうんですよね。

そんな罠(?)にはまって、何度も何度も断捨離をしては失敗をしてきました。

今週は無性に本を本棚ごと捨てたいという欲求に襲われました。

だけどおそらくそれは本当の欲求ではないと思うんですよね。

脳内の信号が壊れて変になっているだけで、多分私は本が好きなのです。

お母さんが子どもを愛しているはずなのに「もうお母さんをやめたい、どこか遠くへ行きたい」と思うのと似ているかもしれないですね。

結局誰かに子どもを見てもらって一人の時間を満喫しようと思っても、気づいたら子ども用の服やお菓子を買っていて「やっぱり子どもを愛しているんだな、子どもがいない人生なんてあり得ないんだな」と思い直す感じ。

要は疲れすぎているだけなのかもしれませんね。

断捨離についてまともに勉強したことがなかったのですが、最近作業のモチベーションアップのために断捨離の動画をYouTubeで流していたら、初耳なことがいっぱいありました。

モノへの依存、コトへの依存

そのうちの一つが「コトへの依存」です。

「モノへの依存」は違法薬物やアルコールなど物自体に依存性があって、それに依存している状態。

「コトへの依存」というのは、買い物もそうだし断捨離もそうなんです。

買い物をしたり物をたくさん捨てたときに「あぁー!スッキリした!」という爽快感を得ることがクセになり、繰り返してしまう依存状態です。

過去の私もまさにそうですよね。

自分の人生と向き合うのが難しくて辛かったんじゃないでしょうか。

だから根本的な解決をせずに見よう見まねで断捨離に取り組み、やみくもにたくさんの物を捨てまくることで「あぁー!スッキリした!」という爽快感を得る依存をしていたのです。

「イライラしたからタバコを吸う」みたいなもんですよね。完全な対症療法。

本棚を捨てたい自分に気づいたとき、また人生と向き合うのが嫌で手っ取り早い対症療法の爽快感を得てストレス解消した気になりたいんだろうな…という冷静な考えもありました。

なのでまだ捨てていません。(^_^;)

ただ本は厳選してまたリサイクルショップに持って行こうと思っています。

人生創造ってとても難しいですよね。

「やるべき」だけで人生を埋め尽くしてしまうと鬱やノイローゼになってしまう。

でも「やりたい」だけでは生きていくことはできない。

「仕事にときめかないからやめちゃおう」で一時的に離れるのはいいかもしれないけれど、どうしても家賃や保険料は生きている限り毎月払う必要が出てきますもんね。

「ちょっと、ときめかないので今月家賃払わなくていいですか?」って成り立たないですからね。

私は地位が低かったり給料が安いなど、客観的に見て不利と思われるような仕事でもやりたいことだったら是非やりましょうという方針だし、できる限り「やりたいこと」を優先している部類の人間だと思います。

でも「やるべきこと」はなかなか0にはならないので、やるべき対やりたいを60:40にするのか、70:30にするのか…そのバランスを私の人生ではどう取っていくのが正解なんだろうって悩んじゃったんですよね。

私はお金の備えがあったほうがいい、キリギリスになるのが怖いという思いが強かったから、ブログや電子書籍などの自分の資産になり得るものを将来のために頑張ろうって思っていました。

それでふと断捨離に取り組んでいるときに、思ってしまったんです。

将来のための時間(ブログを書く時間など)が現在の生活を圧迫していて、辛くて疲れてしんどくて…私は今を大切にしていないんだろうか、これって本末転倒なんじゃないだろうかって落ち込んでしまいました。

よく服の断捨離で「いつか着るかもしれないから」の「いつか」は絶対に来ないので捨てましょうという話があります。

もしかしたら未来にその服を着る可能性は0じゃないかもしれません。

30年後に1回だけ着るかもしれません。

30年後に体型が変わっていない可能性も0ではないし、当たり障りのないデザインであれば、本当に着ることができるかもしれません。

でも「30年後に着ることができる可能性があるかないか」で選別するのではなく「今を輝かせる、今この瞬間の一軍選手なのか」が大事なのです。

命の時間は有限ですし、青信号で横断歩道を渡っていても急に車が突っ込んでくることだってある、感染症が猛威を振るう年もあれば、津波がたくさんの家を流していく年もある。

いつどこで何があるかなんてわからない。だから今を大事に、今を輝かせることが最優先。

「いつか」「もしかしたら」着るかもしれない30年後40年後のための心配をする前に、今日明日を輝かせる必要がある、それが断捨離のルールなんですね。

以下の筆子さんに寄せられた質問に対する答えがまさにそんな感じです。

Sさんは元々服が好きなので2年間ずっと着ていなかった服でもある日フッと着たりするそう。だから私にとって「いらない服」なんてものはないんです、どうしたらいいでしょうかといった主旨の質問でした。

対する筆子さんの答えは「2年後のある日のために、今日明日の服選びを大変にする必要はない」といったニュアンスでした。

(参考→「服を減らしたいけど、いらない服はないので捨てられない、という相談の回答。 筆子ジャーナル」)

「2年後も虫に食われていないだろう」「おそらく体型が変わっていないだろう」「シンプルなデザインだから流行に左右されずに着られるだろう」ではなく、「今日明日を最高に輝かせてくれる一軍選手かどうか」が選抜基準なのです。

「着ることが可能かどうか」ではないんですね。

それで私が何を言いたいかというと、「未来のどこかの日のために現在の時間を犠牲にして資産構築の努力をすることって、『いつか着るかもしれないから』と言って服を取っておこうとして注意されている人と一緒じゃない!?」と思ってしまったんです。

ガラクタは取っておいても物のためにもならないし、自分のためにもなりません。

資産は自分や家族を守るものだから、自分のためになりますね。

そういう違いはありますが、「未来のどこかの日のためを優先して今を大切にできていない」という共通項を見つけたことで「私、一体何がやりたかったんだろう」「今やってることは合ってるのかな」と疑心暗鬼になり、モヤモヤしていた一週間でした。

私は経済的な余裕を作ったら、例えばジャムや石けんなどの「手作りしようと思えばできるけど、普通はスーパーで買うよね」といった物もじっくり手作りしたいというちょっとした夢があります。

そのために電子書籍などを頑張るぞと思っていたのですが、本業・副業・本業に関わる勉強・ブログ・ビジネスに関わる勉強・電子書籍に関わる勉強……とやっているとすごく忙しくなります。

「丁寧な暮らしが好きだ」と思ったからそれに沿って目標を立てたのに、それを叶えようとしている今は時間がキツキツになって外食三昧やカップラーメンをよく噛まずに流し込む日々……。

「私が大切にしたかったものって何だったっけ?」「未来も大切だけど、今も大切なんじゃないの?」「これは間違いなのかな?」「どうしたらいいんだろう?」と立ち止まってしまったのです。

ブログやせどりで結果を出す目標を3ヶ月などと定めている人(スクールや講師、コミュニティ)がいますが、それは3ヶ月だと悩む前に走りきれるからです。

私はブログの成果が出るのが5年とか7年とかの人もいると先生に聞いていたので、焦らずどっしり構えようと思っていたのですが、こういう風に疑心暗鬼になる時期や、例えば転勤とか妊娠出産で生活スタイルが変わることが人生にはありますよね。

そこで多くの人が挫折して二度とブログをやらなくなってしまうから、「3ヶ月でやってやろう!」みたいになるんでしょうけども、私は来月もまた淡々とブログを書いているような気がします。

「あぁ~この記事を書いたときは疑心暗鬼で憂鬱になってたよな~」なんて思いながら。(^_^;)

みなさんはこの秋、新しく頑張ろうと思ったことや停滞していることはありますか?

大丈夫。

やまない雨はないし、太陽が昇らない日もないのですから。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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