夫婦のトリセツは自分のトリセツ

こんにちは。

最近、通勤電車の中で苫米地英人さんの本を読んでいます。苫米地さんはオウム真理教の洗脳を解いた天才的な脳機能学者です。

(関連書籍→「時給10万円も夢じゃない!とっておきのビジネス思考 苫米地英人」

苫米地さんと言えば「抽象度」がおなじみのキーワード。例えば「チワワ→犬→動物→生物」ではチワワが抽象度が低く、生物が抽象度の高い概念だと言うことができます。

人生においてこの抽象度の上げ下げを自由にできるようになれば、ビジネスだって人間関係だって家庭環境だって、全てがやりやすくなります。

最近TwitterやLINEを見ていると夫婦関係の悩みに対する4コマ漫画や掲示板がたくさん取り上げられているなとよく思っていました。

なので、どこに行っても「仲いいんだねぇ~」と言われる私たち夫婦はなぜ仲がいいのか、普段の学び(2人とも苫米地さんの本を読んでいます)と実践から結論を整理して書いていくことにしました。

そもそもどこで苫米地さんを知ったかというと、ネットワークビジネスのセミナーでした。

最初は旦那に「名前だけ貸して!」と言われて登録したネットワークビジネス。今でも「注文内容を変更するからログインして!」と言われ「はいよ~。」とログインしてお任せ。

旦那のお小遣いの範囲内でやっているので良しとしています。1回きりの人生なので、合法なものなら好きなことをやってほしいと思うのでね。

セミナーにも「ついてきて!」と言われ一緒に行きましたし、最近ではZoomに切り替わりましたが家で大画面で見ているので自然と目に入ってきます。

製品の特長を説明する時間などももちろんあるのですが、旦那のグループのリーダーさんはネットワークビジネスだけに役立つ情報ではなくて、「7つの習慣」など世の中の成功者と呼ばれる人みんなに共通し得るテーマについて教えてくれるんですよね。

そこで言われていることを理解して実践できれば、ネットワークビジネスじゃなくたって、不動産投資や実店舗の経営者など「ビジネス」と呼ばれるもの全般が上手くできるだろうなという感じです。

そんなリーダーさんがビジネスセンスや人間力を磨くために勉強していたのが、苫米地英人さんの書籍や音声でした。

人生において最も大事な人間関係は、自分自身との人間関係

ネットワークビジネスだから人間関係を学ぶことが必要なのではなくて、本当は全ての人が人間関係をきちんと学ぶべきなのです。

なぜなら人生において最も大事な人間関係は、自分自身との人間関係だからです。

幸せに生きるためには自己重要感が必要不可欠です。他人に迷惑をかけないことなら「自分がよければそれでいい」でOKなのです。

しかし人々はどこかから「デブ」や「ハゲ」と聞こえてきたら落ち込むし、会社を辞めてビジネスをやりたい言ったら「怪しい」と言われてへこむし、賃貸に住んでいる自分はみじめで、庭付き戸建てを購入した友人を羨ましいと思います。

道徳や国語の教材で多少は人間関係について習うかもしれませんが、ほとんどまともに人間関係を勉強することなく私たちは生活しているのです。

自分が何を求めていて、何を良しとするかをわかっていません。だからイライラするし愚痴を言うし、鬱病は増えるし、円満でない離婚や転職が増えるのです。

実は人々の潜在的な欲求の中に「素の自分を愛したい」「自分が生きていることに価値を感じたい」「自分の心と向き合い、認めたい」という欲求があるのだと思います。

ゆえに「世界に一つだけの花」が売れたし、メーガン・トレイナーの「All About That Bass(オール・アバウト・ザット・ベース〜わたしのぽちゃティブ宣言)」が売れたし、アナ雪の「Let It Go~ありのままで」が売れたのです。

これらの曲は出してみたら偶然売れたのではなく、世の中に上記のようなニーズがあるとわかっていて、計算されて狙って作られたヒットだったと言われています。

先ほどの「チワワ→犬→動物→生物」のように「最近夫婦関係の漫画が増えた→夫婦関係に問題がある家庭が多い→夫婦関係の上位概念は人間関係→人間関係に問題がある人が多い→他人との人間関係をうまく築けないから→なぜなら自分との人間関係すらまともに構築するやり方を勉強していないから……」というように、抽象度を上げ下げする力を鍛えることで、人間関係やビジネスチャンスに活きてくるでしょう。

なぜなら問題の根本に気づくことができるからです。

問題の根本に気づく重要性

問題の根本に気づくことこそが重要で、実は手段は何だっていいのです。

「可愛く見られたい」という根源ニーズがあれば、それを叶える手段はマスカラだっていいし、髪を切ることかもしれないし、洋服を買うことかもしれないし、アイシャドウの色を変えることかもしれないし、アイラインの太さを変えることかもしれないし、何にでも変わり得るということです。

以前の職場の先輩がこんなことを言っていました。「うちの旦那に『ミルクあげて』って言ったら本当にミルクだけあげて、終わった後の哺乳瓶が台所にドンッて置いたままになってたの!何考えてるんだろう!信じられない!次ミルクあげるときに使うんだから、洗っておこうとか考えないのかな!?」

言われた方にしてみれば「ミルクをあげて」と言われてミルクをあげたのだから、何が不正解だったのかわからないかもしれません。

めちゃくちゃ高級なマスカラを買ったとしても「う~ん、あんまり可愛くなってる気がしないな」と思えば根源ニーズが満たされていないので、イライラしたりテンションが下がったりします。

どうやら根源ニーズは「ミルクをあげること」ではなかったから、ミルクをあげても満たされなかったようですね。

私も過去に洗濯で言い合いになったことがあります。最初は私がほぼ全ての家事を担っていて、それでうまくまわっていたんです。

しかしある時急に私の仕事が忙しくなり始め、分担の話し合いもできないまま夜中に帰宅することが連続したのです。

旦那は「頼まれてないからやらなかった」というタイプなのは元々知っていましたが、お願いをする気力も時間もないぐらいに忙しく「洗濯しておいて!」すら言えませんでした。

さすがにお風呂上りに使うバスタオルがなくなっても「頼まれてないから」を貫くのには嫌気がさし、言い合いに。

「私が余裕のあるときはいいけど、自分の大切な人が忙しそうにしてて疲れて帰ってきてるなら、ちょっとはやってあげようという気にはならないの?」

「だって頼まれてないもん。」「頼まれてなくても、バスタオルがもう足りないじゃん?一人暮らしをしていた時はストックを見て、『そろそろ洗濯しておいたほうがいいな』って自分で考えて動いてたんでしょ?なんで今はできないの?」

「だってまだ洗濯しなくていいと思ったから。じゃあいつやればいいの?洗濯かごの7分目になったらとか、満タンになったらとか、言ってくれないとわからない。」といった感じでした。

どうやら旦那は女性には女性の家事のルールがあり、自分が手出しをする場合はペースややり方を全て完璧に真似しないといけないと思っていたようです。

旦那はバツ1なのですが前妻がそういう人だったのでしょう。だからこそ頼まれていないのに中途半端に手出しをして完璧にこなせなかったら、それが女性を怒らせる原因になってしまうから、頼まれてない限りは手をつけないでおこうと考えたのです。

私はこだわりがないので、ブラウスやレースなどの繊細なものだけネットに入れてくれれば後はどうでもいいということで落ち着きました。

前妻の影響を受けてか、全体的に「手伝ってほしいと言うなら完璧なマニュアルを作ってくれないとできない」「具体的に言ってくれないと困る」というスタンスでした。

男はずっと息子である~「家」に対する男女の認識~

加えてもう一つ気づいたことがあります。男性はこちらが変えようとしない限り、ずっと息子だということです。

「旦那をうまく教育!なんて言うけど、なんで私が育てないといけないわけ?大人なんだから自分で考えてやってよ。」という意見がありますが、多分そういう(自発的に育とうという)発想自体がないんでしょうね。(笑)

逆に女の子は幼稚園児ぐらいになると人形にミルクをあげたり着替えさせたり、妹や弟が生まれると面倒を見ようとしたり、おままごとで野菜を切ったり……ある意味生まれた時から「小さいお母さん」なんですよ。

女の子はお母さんが料理やお菓子作りをしていれば「私も!」と割り込んでくるけど、男の子は外でお友達やお父さんとボール遊びや鬼ごっこをしに行ったりします。

もう、そういう風に作られた生き物なんです。あっさり割り切っちゃえば楽になれます。(笑)

家が荒れているのが目に見えているのに、旦那が全く家事に手をつけないことを不思議に思った私は「実家では家事のお手伝いをしてこなかったの?」と聞くと、兄弟が多かったため一人ひとりの役割が固定されていて、旦那はお風呂掃除担当だったそうです。

そういうことか……と。

夫婦なら2人の大人が想像し合って思いやって、協力して1つの家庭を作るけど、確かに自分を息子の立場だと無意識に思いこんでいたら頼まれたことしかやらないですよね。

私だって実家にいた頃は洗濯物の溜まり具合なんて気にしていなかったし、家計の方針に口出しもしなかったし、頼まれていないことはやりませんでした。

「家」を勉強して部活をやって、疲れて帰ったらご飯が用意してあって、お風呂に入ったりくつろいだりする「休む場所」だと認識していたからです。

男性にとって家とは、自分たちで協力して分担して方針や文化を作っていく場所ではなく、単に疲れたときに「くつろぐために帰る場所」なのです。

改めて教えない限りそう思っている可能性が高いです。

だから「我関せず」といった顔で「頼んでくれたらやったのに」とあっけらかんとしているのです。

そこで私がたどり着いた答えがこちらです。↓

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あなたがお願いごとは具体的に言ってもらう方が好きというのは知っているから、抽象的で申し訳ないし、できなくてもいいから一応私の望みを伝えるだけ伝えておくね。『主体的に生きてほしい』、それが私のやってほしいこと。

『主体的に生きる』とはどういうことかというと、自分が一人暮らしをしているように「そろそろ洗濯をしないと服が足りなくなるな」とか「お皿が溜まっているから、明日使う分がないよね、洗っておこうかな」と自分で状況を把握してやるべきことを考えられるようになってほしいということ。

「頼まれたから洗濯やりました」「頼まれたからお皿洗いました」っていう具体的な作業をやってくれるのが嬉しい人・場合もあるのかもしれないけど、私や世の中の多くの主婦が何を求めているかというと、

「これくらい洗濯物が溜まっていたら明日使うタオルが足りないかな?→でもいつもは妻がやってくれているのに今日は放置されているな→体調が悪いか疲れているのかも→じゃあ自分が今日洗濯をしてあげたほうがいいかな」って考えることをやってほしいんだと思う。

だから洗濯や皿洗いをしても、どこかイライラしている。なぜなら本当にやってほしいことは「全体を把握してから自分で今やるべき作業に落とし込むことを考える」という作業だから。

もしこの家にお父さんとお母さんがいて、あなたが息子の立場であるなら、この家庭はお父さんお母さんが作るものだから、あなたは頼まれたことだけやればいいと思う。

でもこの家は私たちが一緒に家庭を築いていくための家だから、私が一人で全体を把握して具体的な作業に落とし込んで、命令して作業をやらせたって嬉しくない。

一緒に家庭を作っていく当事者になるという自覚を持ってほしい。

(関連記事→「家事はなぜ大変なのか?②」)

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「ミルクをあげて」は「ミルクをあげることだけしてほしい。それ以外はやってほしくない。」という意味ではなく、「一緒に家庭を作っていく当事者になるという自覚を持ってほしい。」という根源ニーズの枝葉として出てきた言葉だったのではないでしょうか。

「ミルクあげて」(=顕在ニーズ)がどういう理由で発せられた言葉なのか、どういう気持ちどういう背景でそのセリフになったのか、観察力と想像力を働かせれば人間関係が円満になります。

これはお願いする側も考えるべきことです。自分が本当にやってほしいこと(=潜在ニーズ)をわかっていないと、具体的な作業をお願いしてもお願いしてもずっとイライラするからです。

観察力と想像力を鍛えて抽象度を自由に上げ下げできるようになれば、夫婦関係だってビジネスだって婚活だって転職だって、たくさんのことを円滑に進められるようになります。

なぜなら、人生を歩むうえで自分との人間関係構築は避けて通れないからです。

では観察力と想像力を鍛えて円満な毎日を送りましょう♪

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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